どうして俺だけ(雑記帳2)
2015(平成27年) 6月26日 記
今日移監になったよ。
およそ14年ぶりの東京拘置所だ。昔のままの古びた門をバスで通ったときは何ともいえない情けなさだった。
ところが建物に到着すると、明治のおもかげを残していた昔の東拘の姿は影も形もない。ハイテク化した建物の中に入ると、昔の調べ所とは違い広くて明るいフロアーだ。
しかし、びっくり箱がすらりと並ぶ風景は独特のものでこれだけは変わらないんだなって感じがした。
荷物検査だって今日送られて来た20人全てが終わるのは夕方だ。
俺は一番最後だったので、列の後に立って待たされる時間が一番長かった。
疲れるよ。びっくり箱でいいかげん待ったあと、最後の荷物検査で呼ばれて外へ出た。ゴザの上には皆の荷物が置いてあり、ひとりづつ中を開いて検査を受けていたはずだ。
当然ゴザの上には最後の俺の荷物がポツンとひとつ残っている。
そういうはず。
そういうはずなのだが俺がびっくり箱を出て来たときゴザの上には何もない。
「自分の荷物持ってこっち来い。」
そんなこと言ったって、そんなわけに行くかよ。俺の荷物はどこいったんだよ。
荷物が無いと言うとそりゃもう大さわぎだよ。オヤジ連中だって大慌てサ。
ああ・・・どうしていつも俺ばかりがこういう、普通有り得ないアクシデントに出くわすのか?
結局、先に検査の終わってる奴の荷物と一緒になってたみたいだ。
そいつはえらい言われ方してたよ。
「てめェ。自分の荷物もそうでないのも判んねーのか。知っててとぼけたんだろ。そりゃ窃盗未遂になるんだぞ!」
って。オヤジ。
自分たちのミスでしょ。ともあれ俺の毎回ハプニングに見舞われる嫌な獄中生活がまたスタートしてしまった。
PS
あのあと、知らないやつの荷物見せられて、自分のものだけ抜き出せ。
と言われたけど、あれもこれも貰っといた。
さて、今回、網走を出所したその足で釧路にきて、もう1年2ヶ月が過ぎた。
保護会にいなけりゃならない期間はとうに過ぎて、限界の1年まで来るともう2ヶ月だけ延長してもらった。
こうなると、もうお荷物だ。
宿泊費も取られるし、食事代も払わなくてはならない。
誰も彼もがこんなところ早く出たくて我慢してるのに、どうして俺は延長まで願い出てここにいたのか。
帰るところがないからだ。
早く帰って喜んでくれる人はもういない。
優しかったお袋は今は俺と一緒にいて、小さな壺の中で俺を見ている。
部屋を借りてからしばらくは仕事が決まらなくても慌てなくて済むように、それなりの金を貯めてから出たい。
そう思ってやってるのだが、結局はこの一年、俺は自分の貯金を切り崩して生活していただけで、貯めることなんて出来なかった。
これが現実なのだ。10月で仕事は終了するので東京に帰っても釧路にとどまっても部屋は借りなきゃならない。
やはり一歩飛び出さなきゃ何も変わらない。買ったチケットは今度はキャンセルするわけには行かない。
保護会にも戻れない。どこにも俺の居場所はない。
だから今度は2度と捨て去ることのないような居場所を新しく作るしかない。
今までは帰るところがあった。
お袋が待ってくれていたから。それを恵まれてると思ったことがあったろうか、当たり前のようにただいまって。
必死にそんな場所を守ってくれてたお袋に感謝したことがあったろうか。
これまでお袋のおかげで寂しい思いをしなくて済んでいた。
でも、今の俺の寂しさや不安は、あの時のお袋の気持ちなんだって気がしてならない。
今夜も一本、線香を焚いて寝ることにしよう。