まとめ読み その18
2015(平成27年) 7月4日 記
何もすることがない。食ってばかりの日々が続く。ちなみに今朝はごはんにみそ汁。コンビーフを開けてマヨ。かつおフレークとおとなのふりかけに焼きのり。食後にバナナを食い、コーヒーを一杯。せんべいとピーナッツ、いか揚げを一袋づつ。小さなキットカットを7つ食い、ルマンドを4本つまんだ。昼食ではぜんざいとシチューをモッソー一杯づつ。コッペパンにはマーガリンとはちみつを塗り、チーズを1個。そして食後にまたコーヒーを一杯飲んで、コアラのマーチとパイの実を一箱空けて、プチせんべいを3袋。紅茶を3杯飲んで板チョコを一枚。いちごみるくのアメをスナック菓子のようにボリボリ食い甘栗むいちゃいましたを2袋。夕食には五島軒の缶詰めを開けてカレーライスに。残りのご飯に大人のふりかけを使い、これまた食後にコーヒー一杯とオレンジ1個。チーズせんべいとゴマせんべいを2枚ずつ食って、またしてもパイの実を一箱空ける。コーヒーをもう一杯入れて、きのこの山とたけのこの里を空にしたらもう寝る時間だ。
2015(平成27年) 7月9日 記
7月に入るとね。拘置所ではアイスが食べられるようになるんだよ。
シャバでは夏・冬問わずに一日に10個近いアイスを食べる俺にとっては大変ありがたい事だ。勿論自腹でアイス券を購入して朝、願い事の際に提出。
すると、翌々日の昼食後に舎房に届く。
14年前に2回目の刑務所へ行く時の東拘では"森永デリカ"って俺が小さい頃からあった定番のカップバニラアイスだったけど。8年前に3回目の刑務所に行く時の八王子拘置所では"MOW(モウ)"ってバニラアイスだった。
そして今回5回目の刑務所へ行こうとしているここ東京拘置所では"、爽(そう)"ってバニラアイスと"サクレレモン"ってかき氷の2種が購入できるようになっていた。
時代は移りゆくものだよ。デリカアイスって知ってるか?昔の駄菓子屋のアイスのケースにはみんなデリカのマークがデザインされてた。
懐かしい。
俺も古き良き時代を語るオジンになってしまったって事かな。懲役という時間の中で。
ところで購入のアイスじゃなくてメシの時に出るアイスはなくなっちまったのかネ。
2015(平成27年) 7月10日 記
何もやる事がない。
公判までに自分にできる事は全てやり尽くした。
しかし、じっくり本を読むだとか手紙を書くだとかの余裕はあるわけじゃない。気持ちは落ち着かないわけだよ。
やる事やった安心感と、まだ何かやるべき事が有るんじゃないかって焦りがストレスとなって俺に菓子を食わせるのだ。
先日雑居に移って来てからは、食料品を週2回、3000円ずつ購入し、牛乳券で毎日のジュースとコーヒー、そしてアイスクリームを購入する。「東拘では金を使う」と言われるゆえんがここにある。しかもその上差入れでも菓子は入ってくるのだから舎房では菓子があまり出す。
まだ手をつけてない菓子の袋や缶詰が空いてる棚や流しの下に積み重ねられてゆく。それが東京拘置所再犯雑居のステイタスになるのだ。
外からのぞいて、購入の菓子があふれ返っていれば金が有る。差しれの菓子が目に付けば面会も来ている。 そんなことが優越感になるのが東拘再犯雑居だ。
しかし俺の居る雑居は俺が来てから勝手が違う。ひとりで食うのも気が引けるので皆にも配る事もあるが入って来る菓子の量を食う方が上まわる。それほど俺は食う。
俺が来たとき、山のように積まれていた菓子の袋は今や風前の灯火だ。 苦しいんだよ。もう食いたくない。でも手が止まらないんだよネ。
これって摂食障害ってやつじゃないの?誰か助けて!
2015(平成27年) 7月11日 記
あのさあ。
ついに食いつくした。あれだけあった菓子を俺がほとんど食い尽くしてしまった。
流しの下はからっぽだよ。どうにも止まらないので食い尽くしたあとは買わないと決めた。
面会来ても差入れしないでもらってくれ。
俺も断るから。
自分が食うのを止められないからといって、なんと勝手なルールを決めたものか。しかし、外から見る菓子のない殺風景な部屋は、金もない、面会に来る身内もない淋しい人たちの部屋と思われてしまうが、そんなこともうかまってられない。
このままでは確実に健康を害する。恥も外聞も気にしている場合ではないのだ。一緒にムリクリ食わされてた舎房の皆も同意見で、この菓子なしルールが始まったが、ここで出されたメシだけを口にするのは未決でありながら懲役と一緒なわけで、何ともあじけないことか。ああ!やめやめやめ!やっぱり菓子くいてェもんヨ。次、誰か面会来たら、チョコとブッセと甘栗だ。
え!次回の購入?もちろん買うよ。死んだら死んだで仕方もねェ!やっぱり俺って勝手な男だよねネ。デブ一直線。もうあとは一刻も早くアカオチするしか助かる道はない。
2015(平成27年) 7月15日 記
多い時には最高8人まで詰め込む様にできてる舎房なんだろうけどサ、現在の5人でも十分狭くて暑くるしい。何が悲しくて野郎とこんなに接近しながら生活しなくてはならないのか?10日ほど前に来てる舎房のひとりは窃盗犯。彼も初犯は7年前に東拘に務めたんだとサ。秋葉でソフトを万引きして即売り払うという
前回と同じ事して1年2月。
ションベン形。遊びに行くようなものだ。
そのへんからして舎房の皆はおもしろくない。留置場で判決を迎えてからこちらに移監されているので、すぐにアカオチする身だ。金もないなら一言言えば皆も協力してやろうかって気にもなり、好きなの食べナ。ってなるのにバンザイする気配もない。
気配もないのに食料品を購入する様子もない。様子もないのに遠慮なく食う。金が無いわけじゃねーなら何か買えよって言いたくなるのはセコイか?ひとりだけアイス食べられないのはかわいそうだと、そいつの分のアイス券を出してる俺は何だか納得できない。だからといって、そのかわり部屋のそーじするとか洗いものだとか人より動くかと思えば一番腰が重い。そのうち知り合ったばかりの彼女が面会に来ちゃ現金差し入れてくのに最後まで一銭も使わなかった強者。あげくの果てに彼女の写真を見せて、年より全然若いですよネって。そーゆーのいらねーし。それが一番癇に触った俺はやっぱり小さい人間か?彼は再犯刑務所行ったら苦労するよ。いや!してくれ!
2015(平成27年) 7月19日 記
パクられる10日くらい前かな。俺より3ヶ月遅れて文ちゃんが出所して来たんだよ。
蒲田で会って放免祝いにメシ食って話をした。後日横浜で会ってサ。文ちゃんのおかげで俺も懐かしい人と会う事ができた。文ちゃんとは薬の話もせずにサ、良い付き合いもできるかなって思ってた。
そしたら俺は出所僅か4ヶ月でパクられたわけだ。もう恥ずかしいのと情けないので合わす顔なんてないよ。メシ食ったとき色々聞いた。同じ工場に居たSは出所3ヶ月目にして保護会でケンカして警察で小便をとられて捕まった。Mも4ヶ月で東拘へ面会の帰る職質でやられ、Iについても保護会で様子がおかしくなり通報。そいつらの事を、あわれに思って同情したよ。
だけど他人事じゃない。俺も同じになっちまった。シャバにいたのはたった4ヶ月だ。あまりに不幸だ。パクられてすぐ平原サンの手紙で判った。
文ちゃんが東拘の面会のあと職質でパクられて綾瀬署にいるって。
出所してたった1ヶ月で逮捕。俺より不幸な奴がいたよ。おまけに奴は仮釈もパーになってるからネ。
一昨日綾瀬署へ手紙を出したんだ。そしたら今日、入浴のとき一緒になったんでびっくり。手紙と入れ替えにこっちへ移監になってたんだな。手紙じゃなくて、まさか直接本人に言う事になるとは思わなかったよ。「また頑張ろう・・・」ってサ。
PS
ああ、ヤダヤダ。
読んでると思い出すからなぁ。