義理堅いやつ!
2015(平成27年) 7月3日 記
警察署で一緒だった昌崇が奥サン連れて面会に来た。びっくりしたよ。わざわざだぜ。
大麻でパクられて来たけど保釈で出たんだ。
その後、俺の居所を探して2人で来てくれた。
俺に感謝してるって言うんだよ。お袋のところへも田舎のお茶持って行ったって。
留置場で会ったのが初対面の男だぜ。
感謝されるような事なんて何もしてないよ。
初犯で何も判ってなかったから、どうしたら早く帰れるかちょっとアドバイスしてやったんっだ。
静岡の実家のお袋さんや、妹サン夫婦、そして毎日面会にやってくる奥サンの手紙を見てメソメソしてる奴なのに、
「シャバじゃあ一回二回の懲役は覚悟の上でドラッグやってんだっ」
ってでかい事言ってたらしい。ところがどうだ。実際捕まってみたら本当の自分はもっともっと小さい小心者で、とても回りに迷惑掛けている事を知りながらドラッグ続けられるようなバカ野郎じゃなかった。
申しわけなくて済まなくて、留置場の中から毎日皆に心の中で詫びる優しい男だった。
俺の長い留置場経験の中でも毎日面会に来る嫁サンはひとりも居なかったしそれだけ愛されてるんだ。
だからあいつにひとつだけ言ったんだよ。
ここをターニングポイントにしろ。ここで道を修正しないと15年後には俺のようになる。今、振り返ってお前と同じ立場に立ったとき、道を修正しなかった事を俺は後悔してる。 これまでの人生が空っぽだったと15年後に言いたくないだろ!って。
そしたら、うん。わかってくれたようなんだ。あいつ。
PS
俺も、逮捕されてから娑婆に帰るまでの間に手紙の一つでもくれた人には必ずお礼をしに行く。
ただひとり、八王子拘置所に面会に来てくれた寛史。奴だけには何もしてない。
だって、帰ってきてから同級のやつに聞くと
「寛史は死んだんですよ」
と聞かされたからだ。
線香上げに行くのもどうかと、お礼のできないまま逝ってしまった寛史に申し訳ない気持ちと、寂しい思いでいたところ。
今回の網走刑務所で、寛史に世話になってたと言うのが現れた。
名前も、住所も、家族構成なんかもぴったし。しかしやつには兄貴がいるんだ。そいつと間違ってないか?
・・・間違ってないんだよ。
連絡がつかず、当てずっぽの手紙も戻ってきた。
家まで行って置き手紙しようとしたが、数十年の年月が何もかも姿を変えて、家が探しきれない。
「おい!寛史、あの時はありがとうな。連絡くれ」
(写真)
釧路から帰ってきて、池袋にホテルをとって散歩してたら、小さな公園に鷹匠がいた。
「すごいね、ちゃんともどっまで来るんだね」
「いえ、餌がなければ行ったきりになります」
「写真撮らせてもらいます」