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"예수, 늘 함께 하시네(主われらと共に)"
"예수, 늘 함께 하시네(主われらと共に)"です!
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
この御言葉は、旧約聖書のイザヤ書の預言を引用したものです。
それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。
このイザヤの言葉は、直接的にはユダのアハズ王に向けて語られた言葉です。ちょっと前後の文脈を見てみましょう。
ソロモンの死後、イスラエル統一王国は、南ユダと北イスラエルに二分されてしまいました。そこからしばらく時代は下って、ユダ王国のアハズ王は、アラム(シリヤ)によって圧迫を受けていましたが、何とかその攻撃をしのいでいました。しかし、なんとアラムが北イスラエル王国と同盟を組んだという話を聞いて、恐れおののきました。その時、主がイザヤを遣わして、アハズ王に語らせました。
主は更にアハズに向かって言われた。「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」しかし、アハズは言った。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」イザヤは言った。「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間に/もどかしい思いをさせるだけでは足りず/わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。
「わたしは主を試すようなことはしない。」
この言葉だけを見れば、アハズ王は敬虔な人のように見えます。しかし、そうではありません。彼は目に見えない神様に信頼するよりも、目に見える強国、異邦人のアッシリアに拠り頼んだのです。
その結果、イザヤに神様の言葉が与えられました。
「ダビデの家よ聞け。」
主語がアハズ王ではなく、イスラエル民族全体になっています。おとめが身ごもってインマヌエルと呼ばれる男の子を産む。これはアハズ王に与えられた預言ではなく、イスラエル民族に与えられた将来的な預言です。
その成就は、アハズ王の時代ではなく、南ユダ王国と北イスラエル王国が共に滅び、バビロン捕囚からの帰還とエルサレムの再建を経て、ローマの植民地として支配を受けていた時代に起こされました。
原曲歌詞
V1
고단한 인생길 힘겨운 오늘도
예수 내 마음 아시네
지나간 아픔도 마주할 세상도
예수 내 마음 아시네
Ch
믿음의 눈 들어 주를 보리
이 또한 지나가리라
주어진 내 삶의 시간 속에
주의 뜻 알게 하소서
V2
하루를 살아도 기쁨으로 가리
예수 늘 함께 하시네
후회도 염려도 온전히 맡기리
예수 늘 함께 하시네
Ch
믿음의 눈 들어 주를 보리
이 또한 지나가리라
주어진 내 삶의 시간 속에
주의 뜻 알게 하소서
日本語歌詞
V1
人生の旅路 辛い日々を
イェス 知っておられる
昨日の涙 明日の道も
イェス 知っておられる
Ch
信仰の目あげ 主を見よ
移り行く日々に
与えられた 命を
御旨(みむね)抱き行く
V2
この日さえも 喜びつつ
イェス 共におられる
儚(はかな)き身に 目を注がれ
イェス 共におられる
Ch
信仰の目あげ 主を見よ
移り行く日々に
与えられた 命を
御旨(みむね)抱き行く
私たちの主イエス・キリストはインマヌエル(神が共におられる)のお方であると信じます!
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