このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その10.
『幸運の女神』
私は、25歳くらいの頃、1987年頃から、 天草の下田温泉一帯で旅館建設用地を探し始めていた。
そして、29歳の4月頃であったと思う。
その土地に惹かれるように 私は歩いてこの土地にたどり着いた。
海を見渡す雑木山を何者かがすでに半分ほどを削っており、 また、その作業はかなり以前から放置されているようだった。
この土地を見た瞬間に私の心は波打った。
ここしかない、と思い、即、買うことを決めた。
その土地は、 地主と買主と土木工事請負人の三者でもめている最中であった。 現金化をしたがっていたのである。 ちょっとやばそうな気配もあったが、 幸運は女神の顔をしてやって来ることはないはずだ。
私は、契約のハンコを即決で押した。
今、レストラン邪宗門とB棟の4部屋が建っている部分であり、 有効面積が800坪ほどであった。
そして、この日から、 私の「旅館熱病の時代」が始まるのである。
寝ても覚めても旅館づくりのことだけを考えていた。
魅力的な旅館、今までだれも考え付かなかったような アイデア溢れる旅館をつくりたかった。
私は、毎日この土地に立った。
この土地は、世界的な魅力のある土地であると絶対の自信があった。
この土地は、「力のある土地」だ。
だれもが居るだけで気持ちのよくなる土地なのだ。
私は、その後も、付近一帯の土地を求めて、 毎夜、地主の方々の家を一軒々回り、頭を下げた。 断られても、しつこくお願いをして歩いた。
なぜならば、その時がついに、自分の目の前にも現れつつあると思ったからだ。 幸運の女神が ようやく自分にも微笑みかけようとしているのだと思ったのだった。
だが、私は、やはりおっちょこちょいだった。
五足のくつオープンは、それからなんと10年後だったからである。
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