このことが無かったら五足のくつはできなかったに違いない その5.
『リスボンの日本展』
私は、ポルトガル・リスボンのサンロケ教会で、 この教会にひと月滞在した天正遣欧少年使節団に思いを寄せてみた。
1582年に長崎を出港し、2年半後にリスボンに到着。 ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見したのは、 さらにそれから半年後であった。 帰国したのが1590年だから、8年間をかけた大旅行である。 出発時の年齢はわずか14,5歳であったという。
私は、リスボンの坂道をゆっくり走る路面電車を眺めながら歩いていると、 『日本展』と書かれた幕が下げられているのを発見した。
展示品を見てみると、AMACUSAという文字に目がいく。 当時、天草で刊行された天草本の複製のようだ。 いや、本物じゃないか、 私は専門家ではないが、 エヴォラ図書館蔵のアルヴァレス「ラテン文典」1593年天草刊とある。
他にも、これは今となっては確かめようもないが、 いくつかの大英博物館蔵の複製だろうな、 天草本があった。
さらに、天草が巨大な日本で一番大きい島となっている日本付近の海図や、 天草の栖本が江戸の地名よりも大きくなっている地図など 天草人の私にとっては興味深いものがたくさんあった。
世界の歴史の舞台のなかで花開いた時期があった天草。
だんだんと私も、自分自身の天草を表現してみたくなってきた。 心躍るような旅館を、天草というキャンバスに描きたくなってきた。
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