地伝#X ◾️カッコイイ先輩の話
1996年「京都のマグマ」は着実に関西で知名度を上げていた。僕はリュウゾウとノブに会うのはライブの打ち合わせの時くらいで、べったり一緒にいるわけではなかった。
彼らは彼らで独自のコネクションを広げていた。特にリュウゾウはタンコシさん、ケンソウさん、そして茂千代など大阪ヒップホップの重要人物との交流が深く、翌年に発売されるDJ KENSAWのOWL NIGHTにも大阪のラッパーと共に参加している。
リュウゾウは僕に大阪のラッパーやDJ、ヒップホップに関わる人を紹介してくれた。山本さんもその1人だ。三木道三やダブルKのミックステープを手掛けたことで知っている人もいるだろう。
この頃に末期症状という日本語ラップクラシックがリリースされてジブラとマミーDが大阪のクラブダウンでライブをしていた。企画しているのは山本さんだった。僕はまだ山本さんとは1〜2度挨拶をした程度で、あまり話したことがなかった。
そんなイベントをやっているとは知らず、まだクラブ的には早い時間、21時ごろにダウンの前を通った。たまたま山本さんが表に出ていて、僕に声をかけてくれた。いつも通りの、頭にタオルを巻いている髭面のオッちゃんだった。
適当に話した後、中に入れば?という山本さんに「良いんですか?」と返すと「ゴッシーやったらゲストやん!」と笑いながら言ってくれた。
名前が売れてきたなーとか思って調子に乗っていたけど、後々考えると女の子と一緒だった僕に格好を付けさせてくれたのだ。ゲストで入れてもらうというのも初めてだったのでとても嬉しかった。
数年後の夜、ヴエノスの前を女の子と歩いていた僕に、スパイシーチョコレートのカツユキさんが「おぅ、ゴッシー。入っていけよ」と言ってくれた。その時はすぐにカツユキさんの心遣いがわかった。
粋でカッコイイ先輩達だ。
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