DJ GOSSY

90年代にヒップホップのミックステープを出していました。

DJ GOSSY

90年代にヒップホップのミックステープを出していました。

最近の記事

地熱VOL.6 ◾️1996年 餓鬼スタジオライブ

1996年の冬、僕は暇さえあれば渋谷の洋服屋グロープインザダークに行ってダラダラと時間を過ごしていた。FAMILYで開催しているグロープのイベントも毎回行っていた。このテープにQやJUBE、SAKUが参加してるのも、そんな中ででよく顔を合わせていたからだ。SAKUは前作に続き2回目の参加になった。「リブロっていうやばい奴がいるのでもう一回テープに入れてほしい」と言われた。この辺まではすぐに決まった。 仕事が休みの昼頃にMPC3000でビートを作っていて、これで完成かなという

    • 地伝#X ◾️1996年 ヒップホップナイトフライト

      ハブさんに付いて行ってナイトフライトの収録現場にお邪魔したことがある。ラジオ局に入るのも初めてだし、日本語ラップの最新情報を得るために必死で聴いていた番組なのでとてもワクワクした。日曜深夜で元々は放送休止の時間帯であったことから収録しているフロアにはラジオ局関係者を見ることはなく代わりに日本語ラップシーンを牽引する有名人が何十人もウロウロしてた。 強面の男たちが廊下に座って談笑していたりして、不良漫画に出てくる荒廃した学校のような光景だ。 しかしながら、そこにいる有名人達は

      • 地伝#16 ◾️1996年 ライブやイベント

        まだ1996年。。。21歳 それほど熱く濃い年だった。僕が日本語ラップに熱狂したのはこのあたりまでだ。その後は更なる刺激を求めて探求していた。 あの日の夜、CAVEの地下2階は満員で酸欠状態だった。本当に酸欠でライターも付かない。壁は熱気でびしょびしょ。息が苦しい。薄暗いステージではキングギドラの2人が唾を飛ばしている。ジブラは竹ぼうきを片手にライブをしていた。 また違う日の夜、ユーザロックのライブもパワフルだった。この映像はのクラブFAMILYだったと思う。間違いなく

        • 地伝#15 ◾️1996年 ミックステープが売れた

          ミックステープ地熱VOL.4は過去に発売したテープとは比べ物にならない程の反響があった。 このテープが売れたきっかけはシスコで販売してもらったことが最も大きいだろう。渋谷で1〜2位の人気を争うレコードショップだ。取り扱ってくれるだろうか、と思いながら恐る恐るサンプルをシスコに持って行った。なぜマンハッタンではなく、シスコへ先に行ったかというと、なんとなく話を聞いてくれそうと思ったからだ。後々、取り扱っていただいているのに失礼な話なのだが、マンハッタンはコネがないと置いてくれ

          地熱VOL.4 ② ◾️1996年

          この頃、渋谷のクラブFAMILYによく行っていた。まだエントラスに入ってすぐの所にDJブースがある頃だ。セロリのイベントでDJの機会をもらったりしているうちに、店長のマサコさんと仲良くなった。開店直後の早い時間にDJをしてほしいと連絡があると、15分後には到着する便利さだったので週に5回も行ったことがある。平日に頑張った報酬として週末のマスターキーさんのイベントでプレイさせてもらった。それも開店直後だったが… 家はクラブFAMILYまで徒歩圏内だった。 クラブFAMILY

          地熱VOL.4 ② ◾️1996年

          地熱VOL.4 ① ◾️1996年

          地熱の4本目はミックステープを作る目的が明確になったので、気持ちとしては1作目だった。 マグマ、餓鬼レンジャー、マッドメディア。京都で僕に影響を与えたこの3組を収録する前提で構成を考えはじめた。 マグマは音源が無かった。彼らは自分達の戦略をしっかりと持っていて徹底した現場主義を貫いていた。地熱の再スタートなのでイントロはマグマのノブに依頼をして声だけ送ってもらった。 餓鬼レンジャーにはこのテープ用に再録音した曲を送ってもらった。依頼した時に「ダブルKのミックステープにも

          地熱VOL.4 ① ◾️1996年

          地伝#X ■1996年 地熱VOL.4のきっかけ

          このテープを作る頃、僕はニューヨークには3回行っていた。何より楽しみだったのはヒップホップ専門のラジオ局、HOT97だ。 トップ画像はブルックリンブリッジで撮影した一枚。ショックウェーブでラジオを聴いている。 とくに好きだったのはHOT97の昼とか夕方、DJのミックスではなくて何でもない時間に、いろんな曲がごちゃ混ぜで流れることがよくある。流行りの曲の次に20年前のソウルが流れたり、ゴリゴリのヒップホップのビートの次にゆったりとしたR&Bが流れたりという感じだ。でも、街の

          地伝#X ■1996年 地熱VOL.4のきっかけ

          地伝#13 ■1996年 ユーザロックのTシャツ

          渋谷に新店舗がオープンして間もなくCLIP13に行った。ユーザロックのTシャツを仕入れて、京都のウォーキンストアで売りたかったのだ。 全く面識もなかったので絶対に断られると思っていた。あのユーザロックと関わりが深く、Tシャツを作る権利を持っているような人達だ。きっと怒ったりする人に違いないと思って緊張しながら細くて急な階段を登った。 僕が最初に声をかけたのはカウンターに座っていたカナメさんで、用件を伝えると隣にいたオーナーのカルマンさんはあっさりとOKしてくれた。しかも、

          地伝#13 ■1996年 ユーザロックのTシャツ

          地伝#14 ■1996年 MAGUMA MC'S

          僕が東京で新しい生活を始めて間もなく、京都では地下で力を溜めていたマグマが噴火していた。 京都のウーピーズというライブハウスに再びライムスターを呼んでいる。 前回のライムスターは客が6人くらいの中で最高のライブを見せ、現場にいたリュウゾウとノブが本格的にラップを始めマグマMC'Sが結成された。2人を中心にマグマクルーは京都にヒップホップを根付かせた後、再びライムスターを呼んでライブハウスを満杯にしたのだ。なんと粋な恩返しだろうか。 しかも、そのライブには京都で出会った餓

          地伝#14 ■1996年 MAGUMA MC'S

          地伝#12 ■1996年 ハブさん

          引っ越したばかりの頃、東京に友達は1人もいなかった。今みたいにSNSで知り合いを増やせる時代ではない。世間ではポケベルから携帯電話に移行している頃だった。 京都にゲストで招いていたのはヒップホップのスター達だ。面識はあっても気軽に連絡できるような関係性ではなかった。店がオープンするまでは1週間くらい誰とも会話をしなかった時もある。 そんな寂しいスタートだった東京での暮らしから一変して、沢山の友達と出会う機会を与えてくれたのがソウスクのハブさんである。いろいろと思い返してみ

          地伝#12 ■1996年 ハブさん

          地伝 ◾️東京編スタート

          1996年4月にウォーキンストアの新店舗が渋谷の公園通りにオープンする。僕はこの店舗の運営を任されたので京都から引越しをした。 住まいは会社が用意してくれた。今ならGoogleマップで住所を検索して、どんな場所か把握できるのだけど当時は違った。行ってみるまで知らなかった。京都から約500km、何度も足を運んだマンハッタンレコードまで徒歩5分だったことにまず驚いた。 アーバン神山。コンビニ入り口の真上にあたる2階の部屋。1LDKで1部屋は和室だった。 まだ先の話だけど、僕

          地伝 ◾️東京編スタート

          地伝#11 ◾️1996年 ネイキッドアーツ

          ウォーキンストアは大阪と京都で10店舗ほどに増えて勢いに乗っていた。渋谷に出店が決まったと聞いて、迷う事なく行きたいと手を挙げた。あっさりと任命されて4月には引越しをする予定になっていた。 アメ村三角公園前の地下にあるNeedlesというライブハウスでウォーキンストアのイベントをすることになった。出演者を考えている時にPヴァインの石山さんがネイキッドアーツが良いよ、とお勧めしてくれて呼ぶことにした。 ネイキッドアーツはいくつかの音源を発表していてフルアルバムが期待されてい

          地伝#11 ◾️1996年 ネイキッドアーツ

          地伝#X ◾️カッコイイ先輩の話

          1996年「京都のマグマ」は着実に関西で知名度を上げていた。僕はリュウゾウとノブに会うのはライブの打ち合わせの時くらいで、べったり一緒にいるわけではなかった。 彼らは彼らで独自のコネクションを広げていた。特にリュウゾウはタンコシさん、ケンソウさん、そして茂千代など大阪ヒップホップの重要人物との交流が深く、翌年に発売されるDJ KENSAWのOWL NIGHTにも大阪のラッパーと共に参加している。 リュウゾウは僕に大阪のラッパーやDJ、ヒップホップに関わる人を紹介してくれた

          地伝#X ◾️カッコイイ先輩の話

          地伝#10 ◾️1996年 ミックステープを作りたい

          1月にニューヨークへ5泊6日で行った。記録的な大雪の為、経由地のサンフランシスコでフライトがキャンセルになった。ホテルで一泊して翌日の夜ニューヨークに到着した。タクシーでブルックリンブリッジを渡り、初めて見るマンハッタンの夜景。ヒップホップの聖地、憧れのニューヨークへついに来た。 レコードや服を買ったり、ラジオでHOT97を聴きながらフルトンストリートを散歩したりして楽しんでいた。ストリップクラブにハマりお金を使いすぎてしまったので最後の二日間くらいは安いパンと水しか食事を

          地伝#10 ◾️1996年 ミックステープを作りたい

          地伝#9 ◾️1995年 餓鬼レンジャー

          四条通り木屋町あたりにウォーキンストアの小さい店が新しくできた。店先にラジカセを置いて、観光客が行き交う歩道に向けて最新のヒップホップを流していた。 しっかりとジブラの影響を受けている笑 四条通りを歩く観光客の中に紛れて3人の青年がこちらに向かってきた。B BOYというよりかは普通の青年だ。 話を聞くと熊本から来ているという。ラップをやっているそうだ。誰かに言われてこの店に来たような気もするし、偶然通りがかっただけかもしれない。 デモテープがあるというのでフーンと思い

          地伝#9 ◾️1995年 餓鬼レンジャー

          地伝#8 ◾️ 1995年 YOU THE ROCK

          キングギドラの空からの力で日本語ラップに狂った人も多いだろう。僕もその1人だ。 アルバムの出版元Pヴァインに電話して「イベントにギドラ呼びたい」と伝えた。電話に出てくれた石山さんが会ってくれると言うので渋谷まで行った。どんな話をしたのかよく覚えてないがキングギドラ関西初上陸を大阪のクラブDAWNで開催し400人ほど入った。 朝方の梅田から京都に向かう電車の中でもまだ興奮が冷めず、いわゆるラッパーの仕草でキングギドラの歌詞を口ずさんでしまうほどだった。 このアルバムは地元

          地伝#8 ◾️ 1995年 YOU THE ROCK