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地伝#14 ■1996年 MAGUMA MC'S

僕が東京で新しい生活を始めて間もなく、京都では地下で力を溜めていたマグマが噴火していた。

京都のウーピーズというライブハウスに再びライムスターを呼んでいる。

前回のライムスターは客が6人くらいの中で最高のライブを見せ、現場にいたリュウゾウとノブが本格的にラップを始めマグマMC'Sが結成された。2人を中心にマグマクルーは京都にヒップホップを根付かせた後、再びライムスターを呼んでライブハウスを満杯にしたのだ。なんと粋な恩返しだろうか。


しかも、そのライブには京都で出会った餓鬼レンジャーも呼んでいる。熱すぎる。マグマの連中は義理人情を大切にする男達なのだ。

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東京に居てもマグマの噂を聞くようになっていた。渋谷のある女の子が「京都にかっこよくて有名なラッパーがいる」と言う。誰のことだろうと思い、何がかっこよくて有名なのか聞くと「生き様」と返された。リュウゾウだった。


本社が大阪なので月一程度で関西には帰っていた。もちろん京都にも立ち寄るのだが、1年も経たないうちに明らかに街の様子が変わったと感じた。B-BOYらしき少年が沢山歩いているのだ。夜に木屋町を歩くと不良少年に挨拶をされることも多かった。マグマの初代DJという看板はそれほど力を増していたのだ。

その後もマグマを取り巻く人の数は増えていて、知っているだけでも10人くらいいた。実際はもっと多かったのだろう。ヨンギやスナイプにマー達もマグマに近いところに居た。

イベントの「地熱」でマグマのライブが終わって外に出たら黒い服に身を包んだ見るからに不良の少年達30人くらいに囲まれた。何事かと思ったら「お疲れ様でした!」と頭を下げられただけだった。

宿泊先で僕は歯ブラシを持ってきていないことに気付いた。そのマンションの下にコンビニがあるから買ってくると言うと「待っててください」と言われ、15分後くらいに若い子が原付に乗って届けてくれたりもした。

東京にいた僕は彼らがどうやってここまで影響力を大きくしてきたのかよく知らない。ただ僕が京都に住んでいた時とは取り巻く環境が違うことに戸惑っていた。自分の思う快適なヒップホップ的環境とは少し違うと感じ始めていたかもしれない。


アナーキーが歌詞にしているウォーキンストアや餓鬼レンのヨシもこの頃の出来事だろう。

https://www.youtube.com/embed/0KnLaFy3Efw?rel=0



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