鹿児島県知名町を踏破 その3<日本全市町村踏破(制覇)>
2018年2月12日。前日、徳之島から奄美大島経由で沖永良部島に渡り、島の南西部、知名町の屋子母(やこも)海岸に立つ「旅館やこも」に泊まった。
昨晩は日曜夜は従業員がいないということで夕食は外に食べに行ったが、月曜の朝食は宿で食べることが出来た。
宿の玄関には、多数の貝殻や珊瑚が飾られている。
宿の目の前にビーチが広がっている。
磯には、多数のタイドプール(潮溜まり)。隆起珊瑚礁は脆く、このようなタイドプールが出来やすい。
宿の向かいは、墓地になっている。墓の多くは屋根を備えており、沖縄の「屋形墓」や「破風墓」と同系のものと見られる。一方、日本本土で一般的な四角柱の墓標(塔式墓)も立っているが、これは沖縄ではほとんど見られないものだ。かつては琉球王朝の統治下にあり、江戸時代以降は薩摩藩の直轄領となった沖永良部島らしい、中間的な様式と言うべきか。
屋子母を海岸を後にし、昨晩夕食時に訪れた知名町市街地近くの、「ジッキョヌホー」へ向かう。これは端的に言えば泉だ。正確に言えば、「ジッキョヌ」は集落の名前で、「ホー」は川。泉から流れ出す小川である。
前々回の投稿で、沖永良部島を代表する観光名所「昇竜洞」を紹介したが、そうした鍾乳洞が形成される珊瑚礁由来の石灰岩大地では、水は地下へ染み込んでしまって溜まりにくい。
そうした沖永良部島にあって、このような湧き水は大変貴重であった。戦後、水道が整備されるまで、飲料水としてもちろんの事、農業用水、洗濯など、幅広く使われ来た。
今、知名町の市街地がここにあるのも、古、この泉を中心に人々が集まり住んだためだろう。とすれば、集落の歴史は相当な古さを誇るに違いない。泉を中心に展開する集落なら、この島に人が住んで以来のものかもしれない。
それにしても、泉を石で囲うというようなことは、日本本土ではあまり見られず、異国感のある風景である。中国の影響を受けた、首里城下の龍潭を思い起こしもするが、私が真っ先に思い出したのは、イタリアのトレヴィの泉とか、イランのペルシア式庭園などである。どことなく、西洋風、あるいはオリエント風の雰囲気がある。
日本でも、庭園の池や、温泉の源泉ならば石垣が築かれたりもするが、そういったものに近いのかもしれない。
ジッキョヌホーは、道路の向こう側から流れて来ており、トンネルをくぐると、井戸と水神祠がある。
奥の柱に、「水神」と刻まれている。
古い歴史と、洋風にさえも見える建築文化、島の人々の水神への切実な思いが伝わって来る、何とも言えない、不思議な場所だった。
市町村踏破数は前回投稿から変わらず。
鹿児島県全43市町村のうち、41市町村踏破、残り2市町村、達成率95.3%。
九州・沖縄全274市町村のうち、257市町村踏破、残り17市町村、達成率93.8%。
日本全国1741市町村のうち、1717踏破、未踏破24、達成率98.6%。