大伴の裔なる巫女ぞ
夜の山間。ところどころ明りが点いている河原に、裸の男女が集っている。
年齢は比較的高齢だ。
その中に、同じ職場の、白髪交じりの五十代男性がいる。
会社では管理職で、私自身との関係は良好だ。
彼が何か注意事項等説明して、皆、静かに夜の川へと入って行く。
私も一緒に夜の川へ入った。
夜の川は冷たい。
夜の川を、ゆっくりと、歩いているのか泳いでいるのか分からないような感じで進んで行く。
川に流れは感じない。水面も静かだ。
進んでも少しも波立たず、波紋すらも生まれない。
黒々とした水面に、わずかな光があたって、かすかに自分の姿が映るくらいだ。
皆の後について、川をスイスイと進んで行く。
川は、さほど大きいものではない。
山間ということもあり、段々と川幅が狭くなっていく。
しかし、川は淵のように淀んで、全く流れを感じない。
首から上を水面に出しているだけでも、頭がつかえてしまうような、水面すれすれに橋のように架かる岩の下なども越えたりした。
やがて、明るい室内のような場所に出た。
まるで銭湯そのものだ。
混浴なのだろうか、全裸の男女が、あるいは立ったり、あるいは座ったりして、談笑している。
今までとは打って変わって、にぎやかな場所だ。
これまで川を進んできたメンバーと違って、ここには若い人も多い。
彼らの姿を眺めたり、話に耳を傾けたりしているうち、気が付けば、襖の沢山ある和風建築の中にいた。
様々な絵画が壁に飾られている。
厳めしい武士。
呪術を使う美女。
これは見覚えがある。
鬼女紅葉に関するものだ。
ここは鬼女紅葉の菩提寺、鬼無里の松巌寺の本堂だ。
本堂の中には、初老の婦人の参拝者もいる。
やはり、絵画をしげしげと眺めている。
能の謡のようなものが聴こえて来た。
これは、鬼女紅葉が登場する、謡曲「紅葉狩」のようだ。
うおおおん、と低音の管楽器のように響く、男の太い声である。
そして、気がつけば、声は自分から発せられていた。
自分が謡っていた。
さらに、私はいつの間にか、飾られた絵画に描かれた人物のような姿になっていた。
金糸のきらびやかな狩衣と烏帽子を纏って謡っている。
この装束、鬼女紅葉を討った平維茂なのか?
いや、私は……。
私の側に寄り添う存在を感じる。
私に何者かが降りて、取り憑いて謡っている。
いや、私は知っている。
私は自分の魂を脱魂させ、異なる世界に赴き、呼んで来たのだ、この存在を。
内裏屋敷、内裏屋敷。
謡いながら、謡の内容とは別に、その言葉が、頭に繰り返し響く。
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この夢は、新元号「令和」が発表された、平成31年4月1日の夜に見た夢である。
確かにその晩、「令和」の出典を書いた、大伴旅人や大伴家持に思いを馳せ、古代の大族でありながら、その後応天門の変で失脚し、中央政界から姿を消した大伴氏が、元号採用光栄に浴したことに感慨を抱き、大伴氏の復権などを妄想しつつ床に就いた。
また、大伴氏=伴氏失脚後の末裔とされる、鬼女紅葉についても色々と思い返し、Twitterなどに投稿したのも事実である。
そもそも、鬼女紅葉は、私が長年研究テーマとし、個人のWEBサイトや書籍、商業誌で大々的に取り上げた、非常にゆかりの深い存在ではある(なお、夢の最後に言葉のみ出て来る「内裏屋敷」は、長野市鬼無里にある紅葉の屋敷があったと伝えられる場所)。
とは言え、こんなにはっきりとした、しかも不可思議な内容の、鬼女紅葉にまつわる夢を、大伴氏ゆかりの新元号発表の夜に見るとは、何とも奇しきことである。
令和元年。大伴の裔なる巫女・紅葉のの復権を目指して、長年紅葉を取り扱って来た拙サイト「邪神大神宮」を、今年は全面スマホ対応(レスポンシブ化)する予定。※100ページ以上ある
ヘッダー画像は、個人出版「鬼女紅葉伝説紀行 鬼無里編 巫術復興祈願祝詞付」(県立長野図書館収蔵郷土資料)の表紙に用いた写真。