お地蔵さまと下校途中の小学生
いつもの御地蔵さまに、手を合わせに行く。
下校途中の小学生のグループと遭遇。
たまたま、小石を2個拾って、お地蔵さまにお供えをする男子小学生。
御賽銭のかわりなんだろうか。賽の河原の石積み、一つ積んでは、父のため、二つ積んでは母のためのようにもみえた。
3.11が近づいている。思わず、小学生の子の無心な姿が、二円の浄財をと、財布から二円だして、お供えした。
「一つは、僕とおばさんが、今日一日を無事すごせたこと、二つ目は、3.11のような大きな地震がありませんように・・」とつぶやいて。
小学生は、「僕がやってあげる・・」と言ってくれたが、一歩足を出して、背を伸ばせば、届いたので、そっとお地蔵さまの足元におく。
「3.11知っている?」「知らない」
「そうか僕は、まだ生まれてなかったよね」
「ご両親に訊いたら教えてくれるよ」
「神奈川県出身だから、・・」
引きこもりがたまたま、出歩くとやたら、機会をみて、話しかけたくなる。
そうだよな、小学四,五年生だったら、知らないだろうな。生れていないだろうな。2016年には、熊本地震もあった。
自分がいかに年老いたか、ハタと気がつく。子供の成長は、日々変化がすさまじいものがある。生き物は、ある成長点をすぎると、過去を振り返り、老いていくばかりのような気がする。自分だけかもしれないが。
自分自身が、いかに過去にとらわているか・・。
11年前の3.11の日、丁度ネパールでの逃避生活3か月間を終えて、帰国した日だから、忘れもしない。その時も、中学生のグループと出会って、道案内して、家について、一休みしていたら・・。揺れた。
だから、忘れない。
お地蔵さまは、私が小学生とふれあいを、にっこり微笑みながら、みていらっしゃったんだなと。お地蔵さまがそこにいらしてくださるだけで、見知らぬ人と会話できる不思議な空間だ。
コロナ禍真っ最中は、そんなたわいのない会話をすることも咎められていた風潮を思い出すと、なにかほっこりした。
追記:「日本人なら、誰でも知っているよ・・」の言葉は、使わないほうがよかった。今は、一見するとランドセル背負った、同じ小学生にみえるが、よくみると、ハーフっぽい、色々な国の子供たちにあふれるようになったから。グローバル化だなあと、反省した。地球は、一つ、宇宙船地球号に乗った、全人類の視点が必要だと、ふと感じた。お地蔵さまからの気づきを与えられたようだ。
今の小学生は、私の時代にない友達への気遣いが必要とされる。大変なんだなあと。
話しかけただけでも、勉強になった。
昭和の私たちの小学生は、はなたれ小僧が普通にいた。青っぱなをいつも垂らして。今の子供は、マスクの下はわからないが、見なくなったような。