セガサターンが負けた瞬間(みんなと違う考察)
何故負けたのか
一般的にはファイナルファンタジーの発売とか言われているけど、それはプレイステーションの普及率がサターンと同等であったから、大きな支援をもらえるプレステに、ファイナルファンタジーが発売されることになったのであり、サターンの売り上げが圧倒していたらサターンにファイナルファンタジーが発売されてた可能性もある。現にスクエアはサターンも検討していたはずである。(当時セガの開発の方へ坂口氏が視察に来ている。)
今回はプレステの勝因ではなく、サターンの敗因を説明する。
当初プレステがサターンと戦えた理由
プレステがサターンに食いついていけたのは、大きく2つある。
・リッジレーサーの素晴らしさ
ローチンタイトルにリッジレーサーが発売されていたが、あれはサターンユーザーに絶望与えたものである。あのクオリティはサターンのデイトナUSAでは全く歯が立たずサターンユーザーに絶望を与えたのだ。
・ソフトの多さ
プレステはゲーム開発用パッケージを用意し容易にゲーム開発ができる環境であった。ゲームが面白い面白くないの問題ではなく、簡易にゲームが開発出来れば販売本数が増えるし、多く販売されれば当たりのソフトもあり、多種多様のゲームが販売される。儲けのため出来の悪いキャラゲーも販売されるのだがそれがプレステにとっては大きな一本となった。
サターンの成功と快進撃
1995年末最強のキラーソフトがセガサターンから発売された。バーチャーファイター2だ。ポリゴン格闘の最高級であり、当時うん百万もする巨体のゲームがサターンでプレイ出来るのだ。ゲーム本数が少なかったサターンユーザーだけではなく、日本中のゲーマーが楽しみにしていたものだ。ゲームの出来も良く60フレームで動くキャラにみんな熱中し、ゲームと一緒にサターン本体もとんでもなく売れた。本当にめっちゃ売れた。
しかし、本体は売れなかった
先ほど、売れたと記述したが、確かにサターン本体は売れた。しかし、12月中旬以降のクリスマス商戦でサターン本体は全く売れなかったのだ。クスマス商戦はプレステの圧勝であった。
何故なのか
先ほどのプレステの圧勝は語弊がある。12月、1月の販売はサターンの方が多いはず。ただ、12月中旬からはプレステの圧勝なのだ。
それは、サターンが品薄になったからだ。サターンが店舗に無く売りたくても売れない状態であった。
お父さんサンタはプレステ購入
子供はサターンを欲しがった。しかし売り切れている。代わりにプレステを購入する親が大勢いた。何故、プレステが代わりになれたのか。クリスマスに絶対購入しないとサンタはえらい目にあうからだ。プレステはソフトが多いことや、親の視点からは、サターンもプレステも同じのため、プレステがクリスマスプレゼントの免罪符になったのだ。プレステはソフトが多くキャラゲーも出ており、クリスマスシーズンにおいて、ゲーム屋で売れていないが、おもちゃ屋ではプレステのドラゴンボールが凄く売れた。サターンのバーチャーファイター2に迫る勢いだ。あくまでも私が勤めていたおもちゃ屋限定の話だけど。プレステのドラゴンボールの出来はスーパーファミコン、メガドライブに比べて駄作であり、大量に在庫が残っていた。しかし、親にとっては、子供に頼まれたサターンが買えないなら、代わりのプレステを買わないといけないのだ。そこに親も知っているドラゴンボールがあればサターンの免罪符になり、ドラゴンボールとプレステを購入したのだ。しかも、サターンより5000円も安いしね。そこから、大量在庫のプレステ本体在庫がはけていったのである。ついでに大量在庫のドラゴンボールも売り切った。
なお、プレステを枕元に置いたサンタは翌日どうなったかは知る由もない。
負けが確定した瞬間
サターン負けの瞬間は説明のとおり1995年年末商戦の品不足。あの当時の売れ行きは凄くサターンの在庫があればプレステは売れ残っていた。完全な機会損失です。もう一度言う。今後のシェアに関わる凄く大きな機会損失です。私の言ってることは結果論であり、あの当時それだけ数を確保することも予想することも難しかったのはわかる。しかし、同じことをドリームキャストでやらかしていることから、負けるべくして負けたのだろう。
if
年末商戦で在庫を揃えて、プレステに圧勝していたら、1996年2月時点でサターン300万販売とプレステ200万販売で、スクエアもプレステ参入とは言えず様子を見たはずだ。妄想ついでに、1996年早い時期にサクラ大戦が発売出来ればサターンが日本においては覇権を取れていたのだ。
あくまでも、妄想です。
あとがき
まあ、実際はスクエアはFFの開発研究は1995年の時点で始めてたと思う。ただ、本当にプレステ参入決定は、1995年の年末商戦結果からだと思っている。それだけサターンの勢いがすごかったからだ。
今回、販売店現場からの考察は誰も行っていなかったのと、当時、セガマニアの私がゲームを販売してて、もどかしい思いをしていたので、現場からの話を記事にした。
本内容は、当時の自分の体験と雑誌の情報の記憶から書いた記事なのでソースはありません。あと、あくまでも私の個人の考察ですのでそこのところよろちくm(_ _)m