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ゴール創生とゴール醸成

最近買った本から引用

解決策が課題を完璧以上に解決していたとしても、課題の大きさ以上の価値は生まれないのです

「解像度を上げる」p86

この本で課題を呼ばれているものを表す言葉は世の中に何種類も存在する。イシューもそうだし、仮説もそうだし、問いと呼ばれることもある。私は「ゴール」と呼んでいる。

今から18年前、iPhoneが発表されたとき携帯電話に関わっている人たちはそれを骨身に染みて実感したはずだ。折りたたみ式ケータイ電話というゴールを如何に完璧に達成したとしても、iPhoneに勝つことはできない。

ではそのゴールはどうやって作られるのか?

我が国で尊重されるのは「ゴール醸成」。周りの空気を読み、それを壊さないように「だいたいこういうところで」と正しく妥当なゴールを設定する。すると「なかなかできるやつだ」と上司から可愛がられ出世する。折りたたみ式ケータイ電話という箱庭の世界を壊さないように、その中で一番になれるようにCPUのクロック数を上げ、(ユーザの使い勝手には何の影響もないが)カメラの画素数を上げる。

そうして全てiPhoneに吹っ飛ばされる。

私が必要だと考え、私などに言われなくても「本当にできる人」が行っているのは「ゴール創生」現状を理解した上で、「これはおかしい、こうあるべきだ」というハートに基づく主張を持ち、それが「難しいがかんばれば実現可能」であり「達成できれば望ましい変化をもたらす」というゴールを作り上げること。

こう書くと何か高尚なように思えるので、もっと身近な例を上げる。

仮に上司や客先から「これをやれ」と言われて、

「はい、わかりました」とそのまま実行するのがゴール醸成

「はい、わかりました」と言うが、言われた言葉は一つのインプットして捉え、自分なりの意味を持つゴールを自分で作り出すのがゴール創生

本当にできるビジネスパーソンはゴール創生を行っている人だ。(ダメビジネスパーソンが言っても説得力がないことは承知だが)


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