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「デザイン思考」はテニスの素振り
有名な「デザイン思考はクソだ」という講演がある。そこから引用する。
「現在のデザインシンキングを定義するとしたら、デザインのプロセスを公式化して、本来デザイナーではない人々がステップを踏みながら、課題に対してクリエイティブな解決方法を見つけ出し、デザイナーのように仕事をするためのパッケージと言えます。このパッケージは誰でもどんな問題にも適用できると語られています」。
現状認識として私も全く同感。私の理解では「デザイナーのプロセスを公式化したもの」が「デザイン思考」である。さて、その定式化されたプロセスにどれくらい意味があるのか?先日のビザスク講演で、デザイン思考に対して私はこう答えた。
「デザイン思考は..素振りのようなものです。フォームを正しく素振りをすることは確かに役には立つ。しかしそれで試合に勝てるでしょうか?」
テニスの素振りではおそらくフォームを教わる。このようにラケットを握り、このように立ち、このようにラケットを動かす、と。(本当に教わったことがないからよく知らない。ここは想像で書いてます)
そのプロセスは、おそらく著名なテニスプレーヤーが皆行っている動作を公式化したものである。だからその公式を学ぶことには確かに意味がある。しかし同時に次の点も明白である。
素振りだけいくらやっても試合には勝てない
「デザイン思考に沿った成果物を作成することが生業」のHelperにとって「デザイン思考」は聖典のようなもので、それに従うこと自体が正義であり、真実である。
しかし
「新しい価値を生み出すことが生業」のCreatorにとって「デザイン思考」は「初心者向け素振りのフォーム講習」程度の意味しか持ち得ない。
確かにテニスのトッププレーヤーのラケットの動かし方の共通要素を定式化することはできる。しかしその通りラケットを動かすことに習熟すること「だけ」で、試合に勝ちチャンピョンになれると思う人はいないだろう。
「こんな短期間に容易に学べるメソッドで、参加者は本当にすべての問題を解決できるのでしょうか? そもそも、こんなに容易にデザイナーになれるのでしょうか? 私にはまるでトレーニングはしたくないけれど、オリンピック選手になりたいと言っているように聞こえます。この容易さこそ、教育者としてひじょうに危険な考えだと思わざるを得ないのです」
なのにどこかで誰かが「デザイン思考でイノベーションが起こせます!」と言い出した。その主張は「素振りを正しいフォームで繰り返せば、テニスのチャンピョンになれます!」というのと同値。しかしそのデタラメな主張は世の中にはびこり、Helperが不当な報酬を得ることを正当化している。
私はこうした現状を深く憂いている。ではどうすべきだと考えているのか?すいません。それについては執筆中です。もうしばらくお待ちください。いや、さっさと話を聞かせろという方はお問合せください。
注釈:HelperとCreatorについてhttps://note.com/goromi/n/n943710a2e01e を参照してください。