カーナビ開発者への讃歌
先日旅行に行った際、レンタカーに乗った。そして久しぶりにメーカー純正(多分)のカーナビに触った。私がカーナビの開発に従事した二十年前とほぼ同じ画面なのに驚いた。当時は「こんなもんだろう」と考えていたが、Caplayの画面と比べるとその差は歴然。
今書いている本の一部を引用する。
しかしそのカーナビが稼働しているということはまだこれを作っている人たちがいるというわけだ。あの貧弱かつ原始的な環境の上で仕様を満足するソフトウェアを作ろうと懸命に努力している人たちがいる。おそらくは仕事の合間に「今のiPhone」を触りながら。
当時からiPhoneと比べて「こんなもんなんで作るんだ」と思っていた。しかし今作っている人たちはどんな思いでカーナビソフトを作っているのだろう。
「こんなことやって何の役に立つんだ」
と思っても口に出すことはできない。口に出しても何も変わらない。なぜかと言えば、誰も何の考えもなく「とりあえず現場に対応しよう」と間違ったゴールが醸成され、その達成が強制されるから。
そうやって「とりあえず現場に対応」を続けてきた。その結果何が起こったのだろう?もう少しましな方法を考え、実践しませんか?というのが今書いている本の主旨。とか書いてないでなんとか世の中に出そう。
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