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このような世界があったのかと

人間と馬の関係は約2000年の歴史がある。馬はまず、人間たちが生きるための道具であっただろう。しかし彼らの存在はあまりに気高く、美しい。

馬に約一トンのソリをひかせる北海道帯広の「ばんえい競馬」、馬の飼育/転売で生計を立てる「馬喰(ばくろう)」、馬と共に山へ入り、伐採された丸太を運ぶ「馬搬(ばはん)」、馬頭観音や「オシラサマ」などの信仰。

映画「馬ありて」は、現代まで連綿と続く、日本人と馬の関係に焦点をあてたドキュメンタリーである。

今年、最も印象に残る映画だった。

馬と、馬と共に生きる人々の営みの美しさが忘れがたい。特に予告編1分40秒頃、冬の朝の競走馬の教練風景の映像の幻想的な美しさは、この先何度も思い出すことになると思う。美しいと同時に、こんな風景が日本にあるのかという驚きで唖然とする。

マイナス25度、一番寒さが厳しい夜明け前、午前七時頃。マフラーで口を塞ぐと、息が目にかかり、まつ毛が凍る。体中の温度が一瞬にして奪われる。しかし、私の眼前では馬がソリをひき、ばんえい競馬のレースに向けた訓練をしていた。夜明けの薄明かりの中に馬の汗と熱い息が煙になり、もうもうと辺り一面に立ち込めている。それらはすぐに氷となり、馬の体毛に張り付く。人々はその氷をアルミの器具で引っ掻き落とす。ソリがひかれる独特の金属音が間断なく響くなか、私は呆然とした。ここにいる全ての馬や人々にとっては日課ではあるが、私は眼に映るもの全てに厳しさを感じた。このような世界があったのかと。

映画パンフレットp.6,笹谷遼平監督の文章より

馬を扱う人々が、馬に感じる愛着と畏怖。二つの感情の相克が、映画を観るうちに伝わる。営みの良し悪しを断罪することの虚しさを感じるようになる。この映画の素晴らしいところだと思う。

馬を扱う人々は皆一様に、馬への愛情を語る。馬は可愛い。あんなに美しい生き物はいない。馬がわれわれの心を察して動いてくれる。彼らの、馬の顔やたてがみを撫でる手つきの細やかさを見れば、言葉に嘘はないと感じる。彼らは馬を愛している。

一方で彼らは馬に鞭打ち、怒声を浴びせ、自由を奪う。その場面だけ切り取れば、動物虐待だと騒ぐ人もいるだろう。例えば、馬の蹄に蹄鉄を「装蹄」する場面。馬の片脚を柱に無理やりロープで結び付け、踵を刃物で掘り削り、焼き上げたばかりの蹄鉄を押し嵌める。馬が必死に抵抗する様は、目を逸らしたくなる。

馬飼いの一人がしきりに「人間ほど悪い動物はいない」と語る。懺悔の言葉のように聞こえる。その発言に、自分たち人間の利益のために馬を利用していることの自覚、その後ろめたさが見え隠れする。

馬の恐ろしさも忘れていない。彼らの親世代では、飼い馬が人間の耳や頬、咽喉を噛み千切る事例は珍しくなかったらしい。いくら愛おしくても、相手は獣である。舐めてかかるとこちらが喰われる。

(馬の黒い瞳はふだん優しく穏やかに見えるが、「装蹄」の直前、軀をロープで縛ろうとする人間たちに必死に抵抗するときの「おい、勝手にカメラ映してんじゃねえぞこら」とでも言いたげな、冷たい怒りに満ちた瞳は、確かに獣の目であった。)

愛着と畏怖、どちらが欠けても敬意は生まれない。それは相手が動物の場合に限らないように思う。

DVD化して欲しい。繰り返し観たい。笹谷遼平監督は現在、日本の漂泊民である「山窩(サンカ)」を題材にした劇映画を製作中とのこと。絶対に観る。


(*)カバー画像は、映画の公式サイト/写真館の画像より引用。

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