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日記

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毎日投稿していた時期もありました。
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2018年8月の記事一覧

何でも自分の嫌いな事を月並と云うんでしょう

仕事でとあるイベントに参加する。イベント運営者曰く、参加者用のまい泉かつサンドが大量に余って困っているらしく、遠慮なくたくさん持ち帰る。 帰りにKindleで夏目漱石『吾輩は猫である』。苦沙弥(くしゃみ)先生の奥さん、つまり漱石の奥さんらしき人がちらほら会話に加わり始める。漱石の奥さんがモデルの人物と言えば、『道草』にも登場する。(当時の主流な価値観に照らしあわせても)男尊女卑の過ぎる漱石の横着に、『道草』の奥さんは面従腹背を貫く。その只では転ばない、彼女のしたたかさがとて

手を失くした少女

8月はしぶとい。もう9月の気分だが、まだ3日も残っている。 昼に続き、仕事帰りにKindleで夏目漱石『吾輩は猫である』。面白い。こんなに面白いのに、なぜもっと広く読まれていないのかと、余計なお世話としか言いようのない義憤に駆られる。よく考えたら、日本で最も有名な作家による、最も有名な小説なのだが。今読んでいるあたりでいうと、最近の猫の活躍といえば、台所のお雑煮の餅を盗み食いして踊り狂ったことぐらいで、話題の軸足が徐々に人間同士の会話劇に移りつつある。気が付くと、もう何頁も

”悪魔の庭”と呼んでいる

朝起きて曇り空、気温が低くて喜ぶ。家を出ると外は不愉快な湿気。 二人の同僚と遅めの昼食。地下の薄暗い中華料理屋、他に客はおらず、天井からつるされたテレビの音だけが騒がしい。案内された席からは画面が死角で、映像を見ることはできない。音声のみから察するに、ワイドショーの盗聴特集の番組のようだ。 マンションの大家さんなどが個人的な趣味で、住民が入居する前の部屋に盗聴器を仕掛けるケースもあるみたいですね、と同僚の一人が語る。盗聴が趣味?と、まるでそんなことは理解できない人のような

一人の友としんみり話すまもないうちに生涯は終わりさうだ

今夜、予報では雨が降るんじゃなかったっけ?と話題にしたそのとき、窓の外が光り、激しい夕立。 滂沱の雨が、屋根を激しく連打する。乱暴な雨音に怯えながらtwitterで各地の被害状況のつぶやきを眺めていると、突然、漫画家の訃報が流れてくる。 その漫画家は、作風の振り幅の大きさが魅力だった。『永沢君』の悪意あるユーモア、『神のちから』『神のちからっ子新聞』の狂気、『ひとりずもう』の詩情、それらが絶妙な案配の『ちびまる子ちゃん』を繰り返しよく読んでいた。大人になってからは、父ひろ

10のまちがいさがし

鍵を部屋に忘れた。家に帰れない。ジムに行っている奥さんが部屋に戻るまで、あと2時間はある。 とりあえずお腹が減った。近所の公園の生け垣に腰かけて、コンビニで買ってきたパリパリサラダを食べる。 食べながら、Radikoで菊地成孔の「粋な夜電波」の最新回を聴く。サイゼリヤのキッズメニューの『10のまちがいさがし』について、あれは『8つのまちがいさがし』が本当で、出題者は残り2つは必ず見つからないように作っている。と疑いたくなるくらい、全部のまちがいを見つけるのが難しいという話

水を描く

山種美術館の企画展『水を描く―広重の雨、玉堂の清流、土牛のうずしお』を観に行く。水には色々な形態がある。川の水流、滝の飛沫、海の波濤。題材は同じでも、画家によって表現の仕方が全く違う。身近な自然も、画家の目にはこんな風に見えているのか。日本絵画における表現の歴史と、その豊穣に心打たれる。 小林古径の「河風」。団扇を手にした着物姿の女が、縁台に坐りながら足首を川の水に浸している。川の水の流れが夏空の雲の気流のように活き活きとしているので、観る者もついその中に己の足首を浸したく

過呼吸みたいになるよ

先週、同僚が地方の盆踊り大会に参加してきたらしい。私は盆踊りの踊り方さえ知らない。いつどこで、ヒトは踊り方を習うのだろうか。 蕎麦屋で夕食。帰宅途中、サイゼリヤのアイスティラミスが無性に食べたくなって、近所の店舗に向う。着席し、アイスティラミスとドリンクバーのセットを注文。店員が私たちに、アイスティラミスの品切れを告げる。狼狽する。代わりにアマレーナとミルクジェラートを注文。メニューによると、サイゼリヤのデザートは全て、イタリアから空輸しているらしい。ときには品切れすること

このスープの中には、千年近くもの歴史が入っているんだからな

マクドナルドで朝食。木曜が定休日の奥さんは、ジムで運動している。その間の時間潰し。店内2階に上がり、窓辺のゆったりした席に腰を下ろす。通りを行きかう人々の姿が見える。トレイの上には、ハッシュドポテトとベーコンエッグ、それにミルク。こんなにたくさんの美味しいものが、こんなに安くて本当に良いのだろうかと、うきうきしながら食べる。 PCを開いて、昨晩読んだ小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』の、印象に残った文章を書き写す。 キーボードを叩きながら、ラジオクラウドのアプリで、ラジオ番組

攻撃よりも、犠牲の形に人間が現れ出る

凡庸な猛暑日。 昼、ドトールでヴォルテール『寛容論」読了。訳者の言葉に納得。 笑いながら怒る。珍妙な芸のようだが、本書を読むと上等なアジテーションにはこれも必要だとわかる。アジテーションとは自分の怒りを表明して、ひとを行動にかりたてることだが、怒りをむきだしにすればいいわけではない。また、正論を唱えても、まじめぶった語り口ではたんなる説教と同じで、誰も聴いてはくれない。   ヴォルテールの、どことなくふまじめな感じがヴォルテールの善さなんだろうな、と私には思われた。ヴォ

空腹なんで

暑気のため、のぼせ、だるくなる。ぐったりする。 オフィスの近くで朝食をとるつもりが、出社するなり同僚に声を掛けられ、そのまま打ち合わせ、あれよあれよと昼過ぎに。空腹なんで!と声を荒げて中座する。容赦ない夏の午後の陽射し。頭痛が朝から止まない。空腹のせいか、この茹だる夏の暑さのせいか。暴食したい気分に駆られ、中華料理屋で油淋鶏定食をがっつり食べる。 夕方、帰りの電車で、寛容論の本編が読み終わる。解説の頁が分厚いが、明日には読み終わるだろう。 帰路の路地裏で、電柱のそばに坐

ありのままの自然が好きなのか

朝から空気に湿り気が。猛暑の夏が戻りつつある。 夜、鶏蕎麦を食べたあと喫茶店に。PCで前日の日記を書く。隣りの席で保険の商談が始まる。某外資生保の営業職員。少し日焼けした肌に、きめ細やかな生地のグレイのスーツ。ジャケットの袖からは触れたら壊れそうなほど繊細なデザインのカフスがのぞき、留められたシャツの袖口には高級ブランドの時計が鈍く光る。彼の朗々たる声は自信に満ち溢れ、耳を塞いでも遮りがたい。 契約前の重要説明事項の規定を読み上げている。退屈なはずの規定説明を、ときおり冗

百日紅の木の紅い花に手を伸ばしたりなどして

爽やかな気候が続く。 昭和記念公園に遊びに行こう、となり、昼過ぎに家を出る。中央線に乗る間、つげ義春『貧困旅行記』を読む。 立川駅に着く。駅前の賑わいに驚く。ミスドでドーナッツをテイクアウト。少し歩いて、公園の入り口に。自転車をレンタルして、園内をサイクリングする。木陰の専用路を走る。そよ風が吹き抜けて気持ち良い。生い茂る緑。草いきれ。たくさんの蝉の声。ときどき鴉が木の枝の上に止まり、かあかあ鳴いている。子ども用のアスレチックが集まる広場のテーブルに腰かけ、缶コーヒーと一

ピチカートが信じられないくらい安定してました、とか

今朝も涼しい。 目が醒めて、レイナルド·アレナスの『襲撃』の続きが読みたくなり、ジムに行く。トレーニングしながら読み終わる。 訳者解説で、キューバ革命政権の弾圧によって苦しめられた作家の実人生を知る。レイナルド·アレナスは、人類に対する復讐のつもりでこの物語を書き上げたらしい。それでも、この物語をただの社会風刺小説と片付けてしまうのは惜しい。作家の個人的体験を超越する、寓意の魅力に満ちていたので。 トレーニングのBGMは、Louis ColeのWhen You’re U

夜の水族館

今年最後の夏休み。 喫茶店で、須賀敦子/藤谷道夫共訳のダンテ『神曲 地獄篇』を読み終える。地獄篇第17歌まで。第18歌以降も藤谷道夫の訳で読みたいが、出版予定は明示されていない。彼自身による、第18歌以降の予告解説。 地獄篇は全部で三十四の歌章で構成されているため、数のうえではここで前半が終わり、第十八歌から後半に入る。地獄は九つの圏から成るが、すでに七つの圏が語られており、ダンテは後半のすべてを残り二圏のために割いている。それはこの後半こそが地獄の本質をなすものだからで