米津玄師「街」
はじめに
私が米津玄師の曲を推し始めて、ついに12年を超えてしまった。
この12年で私も人並みには人生経験を積み、以前よりも曲を解釈する力がついた、はず。以前聞いた時にはピンとこなかった曲も、今なら理解できるかも。
そんな今、ひたすら米津玄師曲オタ活に狂い続けた私が、もう一度、米津玄師の曲を振り返ってみようと思う。
最初に言っておくが、これより始めるは曲解釈ではなく、私の個人的な感想がつらつらと並ぶだけの振り返りである。
様々な情報から深い解釈をする、のもひとつやってみれば楽しいのかもしれないが、今回はそれはやめた。
私が大事にしているのは、「私」が、どのタイミングで、どのようなメッセージを米津玄師曲から得られるかなので、そこはあまり大切ではないと思ったから。
曲を聴いて感動するって、根源的にはそういうことでしょ、と思うから。
1stアルバム「diorama」より「街」
米津玄師としてリリースした記念すべき第1曲目(たぶん)。
リリース当時、まだ私は子供だったので、歌詞の意味を深く理解することができず、リズムや曲調に興味が向いていた。
何なら米津玄師というアーティストにちゃんと興味が向いたのは2ndアルバムからだったので1stアルバムが出た時はそこまで興味を持てていなかったと思う。
ただ、1stアルバムの発売日、アニメイトに並んだ「diorama」を前に「よくわからないけど、今ここで初回限定版を買わないと後悔する気がする」という直感で初回限定版をゲットしたのはよく覚えている。
後の人生のこれだけ大きく関わることになってしまうアーティストなら、まだハマってなくても直感が働いて当然であったと振り返る。オタクの第六感、恐ろしい。
そんな思い出話はここらへんでやめておき、「街」の話をする。
最初に「街」を聞いた時は東日本大震災を意識した曲なのかな、と漠然に思った。アルバムジャケットのナマズは地震を彷彿とさせるし。
12年経ち、改めて聴いてみて思ったのは、
「めっちゃ米津玄師が米津玄師してる曲だ・・・!」
これだけだとnoteに書く意味がないくらいバカの感想になってしまうので、もう少し丁寧に、整理して話す。
曲全体としては震災など何かしらの不幸で、今までの生活が一変してしまい、絶望の淵にある人を希望に導くような流れ。
しかし、それは決して押し付けがましいものではなく、悲しみに暮れる人へ寄り添う姿勢がある。
どの言葉も、優しく、寄り添う。
日常の美しさを歌うところはとても米津玄師っぽいと思った。
米津玄師は普通の日常が送れることがいかに素晴らしいことなのか、それが失われることがどれだけ悲劇的なことなのか、知っているのか、知らなくても、解釈の悪魔とまで呼ばれた米津玄師であれば、寄り添える。
これだけ素晴らしい曲を世の中に出し続ける米津玄師が、そこに目を向けられないわけがないのだけど。
まさに、米津玄師の曲を表すような歌詞だなと。
2018年、「Lemon」が高く評価され、その歌詞にも注目されたわけだけれど、その時にも「Lemon」の歌詞が誰かを失い悲しみに暮れる人に深く届く様子をよく見かけた。
米津玄師の歌詞が、言葉が、諦観の奥へ、幽閉の奥へ、行く、深く行く。
米津玄師が1曲目にこれを歌い、今となっては宣誓のようにも感じる。
そういう意味で、「街」は米津玄師を「まさに!」と表すような曲。
第一曲目にふさわしい曲だったなと。
おそらくそういう意味はリリース当時なかったとは思うけど、結果的にそうなっているように思える。
本当に米津玄師の一曲目が「街」でよかった。これ以外ない。最高です。