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虎に翼

 昔から理解できない価値観が至る所にあり、それに阻まれて生きてきた自覚はある。
それは私が女だからで、世界をよく理解していないからで、どこから春が巡りくるのか知らなかったからだと思う。

 虎に翼はそんな「差別による言語化できなかった辛さ」を言語化し、辛かったと感じる理由を提示してくれたと思う。
何が辛かったのか、理由を知るだけでも救われる人は大勢いるだろう。

今、SNSでは虎に翼を見た感想として「私も同じような体験をした」「母が同じ目にあっていた」など個人的の体験がよく書き込まれている。
このように、ドラマを見た人によって現実にある差別が可視化されていく。
 これだけでもこのドラマが放送された意義あったのではないかと私は思う。
ドラマに政治的思想はいらない、なんて的外れな記事も見かけたが、社会に一石投じる作品だってあっていいに決まっている。
生きてて感じる「はて?」の理由がわかるだけでも私たちは心が軽くなる。
それだけでエンタメとして成立してると十分言えよう。

 寅子はいつも理不尽な扱いを受けると「はて?」とかろやかに切り替えす。
「はて?」と感じる瞬間は生きていれば何度も訪れる。
私たちが生きる世の中になぜこれほどまでに差別や、理不尽が横行しているのか。
100年経っても変わらないことが多すぎる。
同じことで100年経っても「はて?」と言い続けている。

 令和になっても共同親権の強行採決や、国立大学学費の値上げの提言、夫婦別姓導入見送りなど弱い立場の人たちがさらに追いやられるような流れがある。
寅子のように、「はて?」と言い続けて戦い続けなければ権利はあっという間に声の大きな人たちに持っていかれてしまう。
令和を生きる我々だからこそ、今この「はて?」と言い続ける必要があり、虎に翼のような物語が広くさまざまな立場の人たちに見られることが必要なのだ。


 主題歌「さよーならまたいつか!」には「瞬け 羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ」という歌詞がある。そうだった、気儘に飛べばよかったんだ、と日々を必死に生きてきた私には刺さった。生涯独身として働く女性であるなら、何かを極め、男性に頼らない人生を送らなければならないと考えること自体が呪いだったとは気が付かなかった。
作中で桂場が言った「誰をも凌駕する成績を残さなければな。」に「はて?」と思った人も多いのではないか。

求めているのは普通に生きて、試験を受ければ性別や人種、身分によって差別されず正当に評価されることだ。

羽を広げ、気儘に、どこまでも飛べる。差別を受ける人たちは誰をも凌駕するほど努力をしないと認められないことが当たり前とされてきた世の中。
例えば、会社の中で居場所を得られた女性というのは結婚せず仕事で男性を押し除けるくらいの働きぶりをしているものだ、という、時代によってそれをしいられてしまったケース。こういった例をモデルケースを推奨してはいけないのだ。
私たちは男性女性、あるいは社会的身分や人種などに関わらず、正当に評価され、気儘に飛ぶ権利を求めている。

働く女性の話、というと結婚を諦めてバリバリ働くことが美しいとされてしまいがちだが、この「気儘に飛ぶ」というのが真に社会に求める差別なき姿だなと膝をうった。
決して先人たちの努力が間違っているわけではない。仕事をして、結婚やいろんなことを諦めなきゃいけなかったのはその時代であったからで、その中で生き残ってきたことは本当に頭が下がる思いだ。でも、これからの時代はもう同じことを繰り返すのはやめよう。
現代の呪いは意識して現代を生きる我々が解いていかなければならない。

虎に翼がはえますように!

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