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noteがわたしの遺言になる

わたしのnoteを読んで、こんなに赤裸々に書いて大丈夫なの?
誰かに見られたらどうするの?と心配になる人もいるだろう。
「こどもたちには見られないようにね」なんてアドバイスくれる友人もいる。

でも実はわたし見られるかどうか全然気にしてないの。
彼らは自分の人生に忙しくて、わざわざわたしの文章を盗み見しようとするほどひまじゃない。
母親のSNSなんか見るひまないくらい、ちゃんと自分の人生を生きている人たちだから。

それにわたしは彼らが大人になったとき、むしろこのnoteを読んでほしいとすら思ってる。

だってここにはわたしの本音が書いてある。
わたしが真摯に人生に向き合っている様子が綴られている。
それはわたしにとっては何ら恥ずかしいことじゃない。


よく親が亡くなってから「親ともっと話をしておけばよかった」とか「親が何を考えていたのか知りたかった」などと言う話を聞くよね。
じっさいわたしも母の考えてることを知りたいと思ってる。もし母が書いたものがあるならぜひ読んでみたい。(わたしの母は語る言葉を持っていないから、それは無理な話だけど。てゆうかまだ生きてるけど)

その点、わたしの場合はこのnoteがある。
このnoteを読んでもらえば、わたしがどんな人間だったのか、何を考え、何に悩み、何を大切にして生きてきたかが一目瞭然でわかってもらえると思う。

わたしは言葉で話すのは得意じゃないけれど、文章にして自分の想いを綴るのは得意なんだ。わたしが言葉で伝えるよりも、きっとわたしの想いが届くんじゃないかな。



だからわたしは誰に恥じることもなく、ここに文章を置いておく。
いつかこどもが大人になって、自分たちに起きたことを改めて知りたいと思ったとき、そのときわたしがもうこの世にいなかったとしても、わたしにはnoteがある。
このnoteがわたしの遺言になる。

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わたしの人生のテーマであるセクシャリティー、毒親、癒し、統合、死別、共依存などについて綴ります。目標月10本以上更新。みなさんの応援がわた…

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