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45歳、遅れてきた反抗期

反抗期とは親の価値観から抜け出すことだ。

今までは当たり前に受け入れてきた「親」という世界をはじめて客観的に見て、自分の価値観との違いを認識することだ。


わたしは親の「共依存」という価値観で生きてきた。その場所に生まれ落ち、そのルールを当然のものとして受け入れた。

そこでは「共依存」することが当たり前だったし、むしろ共依存しなければならなかった。

わたしはそれしか知らなかった。


だからそれがしんどいとかおかしいとか嫌だとか、そんなことさえ思ったことなかった。

それは空気と同じようにいつでもそこにあるものだった。

共依存はわたしの世界そのものだった。





わたしの親が住む「共依存村」のルールは
以下のようなものだった。

自分を大切にしてはいけない

他者を優先しなければならない 

自分の気持ちを素直に表現してはならない

我慢こそ美徳

自己犠牲万歳

このルールで生きると人生は本当にしんどい。
じぶんを蔑ろにして他人の機嫌をとって生きることが美徳なので、ナチュラルに詰む。変な人ばかり寄ってくる。心もからだもボロボロになる。


わたしはこのような「共依存」という親の価値観から抜け出すのに45年もかかってしまった。

人生のどん底の底の底を経験しないと、そこから抜け出すことができなかった。それほどまでにわたしの骨の髄まで染み込んだ価値観だった。


わたしはじぶんの「共依存」癖に気づいて、それが親からくるものだとわかって親と距離を置いた。

わたしにとって親の力はいまだにパワフルなので、親の近くにいてはこの価値観から一生抜け出せないからだ。

わたしは親からじぶんを守る必要があった。



いくらじぶんを守るためとはいえ、この歳で親に反抗して距離を置くのは罪悪感がハンパない。

親はもう老年に差し掛かっているし、すでに丸くなってほとんど普通のおばあちゃんになってきている。

そんな年老いた親を過去のことで責めるのは気がひける。


「共依存」村のルールで生きている親や妹たちからしたら

「じぶんを大切にするために家族を犠牲にするなんて許せない!」

と感じていることだろう。

そう思うとなおさら気が重い。


そんなふうに罪悪感を感じてしまうからこそ、わたしはまだ母や妹には会えない。

わたしはようやく「共依存」に気づいて、そこから一生懸命抜け出そうとしている最中なのだ。

ブレては戻る、ブレては戻るの繰り返し。

まったく安定してない。

今まさにサナギから出ようとしている蝶のような状態だ。

殻を破ったばかりでカラダはふよふよ、羽も乾いてない。

つよい風が吹けば簡単に吹き飛ばされてしまう。

そんな不安定な状況で母や妹に会ってしまえば、わたしは必ず揺れる。

吹き飛ばされてまたあちらに引き戻されてしまう。

だからいまはまだ会うことができないんだ。



わたしはこれから「共依存」しない新しい関係を築いていく。


そこでの新しいルールはこうだ。

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わたしの人生のテーマであるセクシャリティー、毒親、癒し、統合、死別、共依存などについて綴ります。目標月10本以上更新。みなさんの応援がわた…

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