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本当の問題は私の中にある

息子の特性が突如として目に付くようになってきた。息子はasdの特性があり独特なコミュニケーションをするところがある。

でもそんなことは今に始まったことじゃない。息子はずっと以前からそうだし、その特性は3歳くらいから徐々に出てきていて、その特性とこれまで12年間その都度考えたり対処しながら今まで付き合ってきた。私の中ではそれは当たり前のことであって、それこそが息子である。

それなのに最近息子の特性がどうにも目につくのは、どう考えても私の側の変化であり、私の側の問題なのだ。

心当たりはある。
最近asdに関する本を読み漁ったからだ。

なぜasdに関する本を読み漁ったかといえば、夫がasdであり、さらに義母も実母もasdであったということが分かったから。

これは私にとっては、今まで経験してきたことが覆るようなとても大きな事件だった。

asdという視点を得たことで、今まで不可解だった夫や義母や実母に関する出来事がきれいに整理整頓されてしまった。

「なぜ分かってくれないのか?」「なぜ心が通じ合わないのか?」「なぜそんなことが起こるのか?」

今まで考えても考えても分からなかったそれらの疑問がいっぺんに解決されてしまった。

答えは「asdだから。以上。」
それ以上でも以下でもなく、本当に理由はただそれだけ、すなわちasdだから。以上。だったのだ。
本当にそれだけだった。今までクヨクヨ悩んできたのがバカみたいだ。

おかげで夫や義母や実母に対してある程度、気持ちの整理がついたし、何よりこれから関わることもほとんどないのでもうあまり関係ないとも言える。夫に関しては鬼籍に入っているし、義母や実母とこれ以上分かり合えないことが分かってしまえば、私のできることはできるだけ関わりを持たないことだけだ。全ては終わったことだ。

だが息子はそうはいかない。一緒に生活していて関わらないわけにはいかないし、夫のように特性に適切に対処しないことで心を捻じ曲げて二次障害を起こすことだけは何としても避けたい。

そして何より人と関わって分かり合って支え合って幸せに生きてほしい。そう願うのは親として当然の気持ちだろう。

そんな気持ちを持ちつつも、asdフィルターを通して息子を見てみれば、息子はいつの間にか紛れもなくasdの特性を有した若者になっていて、自分の意見を話すことが苦手で、話し合いで答えを出すことも難しく、コミュニケーションも独特で、冗談も通じにくく、それでいていつも緊張して不安でいっぱいで、そんな状態だから本当に疲れやすい。

そんな息子が、これから安心安全の地であった我が家を出て高校生となり突如外の世界に飛び出して行って、知らない人とコミュニケーションをとってラインを交換して友達や仲間を作って、興味のある様々なことに挑戦して成功したり失敗したりしながら自分の好きなことを見つけて、そんな全てを通して自分ってなかなか良い存在だなと自分に自信をつけていくなんてことが果たして可能なのだろうか?

中学校の間は家にいても週に一回は先生が訪ねてきてくれて、時々仲の良いお友達も訪ねてきてくれたりしてなんとか平和に世界は回っていた。息子は守られていた。

でもこれからは?
高校は家にいるだけでは卒業できない。当たり前だけど先生は家に訪ねてきてくれないし、自分の意思で家から出て高校に行って自らペンをとって勉強しなければ卒業できない。そこには確実に本人の意思が必要で、大人の力で息子を動かすことなどもはやできない。

私の知る限り息子のasdの特性はそれらを妨げる作用が大きくて、その特性を有したまま息子の世界を広げる可能性は今の私には思いつかない。

でもそれは息子の問題であって私の問題ではないのだ。それなのに息子の問題で頭がいっぱいになっている私こそが今完全にズレた場所にいる。そのことに気付かなければならない。

なぜ私は今ここまで息子の問題に集中しているのだろう?そこにはどんなメリットがあるのだろう?

息子の問題に集中することで私は何から逃げていられるのだろう?

結局、向き合うべきはいつだって自分自身で、自分自身と常に一致していられれば、息子のことを問題に感じることは無くなるはずなのだ。

今私は本当の私とズレている。そのことをしっかりと自覚しなければならない。

私の真ん中に戻る。
私がやらなければならないことは本当はそれだけなのだから。

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ひるね
うれしいです!!!!