話すのが苦手
私は人前で話すのが大の苦手だ。
緊張して頭が真っ白になるしカラダが震えることもある。
大勢の前で話すのが苦手なのは前から自覚していたけど、少人数でも話せないと最近気付いた。
1対1、もしくは1対2までなら何とか話せる。
でもそれ以上、自分を含めて4人を超えると緊張して話せない。
具体的に何が緊張するかといえば、話すタイミングが分からないから緊張する。
話したいことはある。
でも4人以上のフーリートークのどのタイミングで自分の話を切り出せばいいのか、それが分からない。
誰かの話を遮って話し出すのはでしゃばった感じがして嫌だし、今だ!と思って頑張って話し出したらフライングで話の途中で割り込んだ形になってしまうのも気まずい。かと言って話が一区切りつくタイミングを待っているうちに違う人が話し出したりする。それが延々と繰り返される。
そうやってずっとタイミングを伺っているだけで私はぐったり疲れてしまう。
誰かが司会進行してくれて
「はい、次〇〇さんどうですか?」と話を振ってくれれば楽だけど、日常のおしゃべりの場においてそんな風に場を回してくれる人は存在しないから、私はいつもタイミングを伺ってアップアップしてしまう。凄いスピードで次々と地面に振り下ろされる大縄の前で立ち尽くす人のように。
そんな話し下手な私が講座を開いたりインスタライブをしたり動画講座を撮影したり自分でコミュニティーを作ろうとしていた。
大勢の前でキラキラと話す人たちに憧れていた。
私は話し下手な自分を克服したい、しなきゃ!と思っていた。
今なら分かる。
どう考えても向いてない。
向いてないことを一生懸命がんばってめっちゃくちゃ疲れていた。
もしも苦手を克服できのるなら克服したほうがいいかもしれない。
でも自分の苦手なところばかりに注目してそれを克服しようと頑張ることは今の自分を否定していることでもある。
今のままの私じゃダメだからもっとすごい自分になろうと努力することは、結局今の自分の否定に他ならない。
これは一見正しい努力のようにも見えるけれど、自己否定からくる努力はやっぱりしんどい。
話すのが苦手でもいいじゃん。
少人数なら話せるのならそれで十分。
話すのが苦手でも私には「書く」ことがある。
大好きで得意なことをしていいんだよ。
もう頑張って話さなくていいんだよ。
そう自分に言えたら私はとても楽になった。
苦手なら苦手なりの対処法を考えればいい。
大勢で話すのが苦手なら少人数で、文章で、自分のできる形でやればいい。
それが明らめる(諦める)ということ。
つまりは自分を許すと言うこと。
苦手なことを苦手だと認める。
苦手なことがある自分を許す。
それだけで体の力が抜けて心が楽になる。
自分に無理させない。
楽に生きていいんだ。
楽に生きる自分を許そう。