「分かり合える」という幻想を捨てる/「分かり合えない」から始まる新しいコミュニケーション
わたしはもしかしたらスタート地点から間違っていたのかもしれない。
わたしが学んできたコミュニケーションはひと言でいえばこうだ。
「察しろ」
父親が不機嫌になる。
わたしが生まれ育った家庭では、父親の不機嫌は母親かわたしのせいだった。
父親の不機嫌はいつだって他人のせいで、改めるべきは他人だった。
父親は不機嫌になるとわたしを怒鳴ったし、おしりを叩いて外に放り出した。
わたしは反省して泣いて謝ってどうにかして父親の機嫌を直してもらわなければならなかった。
それがわたしが学んだコミュニケーションのやり方だった。
そこには「境界線」などというものは存在していなかった。
相手の不機嫌に対して「話し合い」もしてはいけなかった。
それを無言のうちに察して、無言のうちに反省することがわたしに求められていることだった。
そこには「相手の気持ちは察して然るべき」という暗黙のルールがあった。
わたしが育った環境では、機嫌を損ねた人はその理由を説明しないままに不機嫌で相手を恐怖に陥れる権利があった。
不機嫌になる人はいつでも被害者で、相手が悪いから不機嫌になるのだと主張した。
だからわたしは誰かが不機嫌になったときは「じぶんが悪いんだ」と反省して理由を探して謝らなければならないと学んだ。
わたしと夫のコミュニケーションも同様だった。夫はなんの前触れもなく不機嫌になった。
そしてそれをわたしのせいだと言った。
いつもこれといった理由はなかった。
どんなに謝っても許してもらえなかった。
そこには話し合いはなく、説明もなかった。
夫の機嫌が悪いのはわたしのせいなのだから「理由はお前が考えろ」というのが夫の理論だった。無言の夫の気持ちを察して、夫が許してくれる方法をいっしょうけんめい考えなくてはならなかった。
わたしは「おまえがイライラするから俺が不機嫌になるのだ」という夫の言葉を鵜呑みにして、どうにかしてイライラしないようにと、一時期はイライラを抑制する漢方まで飲んでいた。
でもどんなにがんばっても夫は不機嫌になった。あたりまえだ。だってそれはわたしのせいではなかったのだから。
夫は夫自身の理由で不機嫌になっていた。
寝不足とか職場のストレスとか幼少期の傷とかわたしとは関係ない理由で不機嫌になっていた。そして他にもたくさんある選択肢の中から「不機嫌になること」をみずから選択していた。
不満を言葉にする努力をせず、不機嫌を撒き散らした。そこには「察して」という幼児のような欲求があった。泣いたらオムツを替えてミルクを与えて抱っこしてあやしてほしい。夫はわたしに母親を求めていた。
「じぶんの気持ちは相手が察してくれて当たり前だ」という幼稚で乱暴な理論がそこにはあった。
それは共依存のルールのもとで育ったわたしたちにとっては当たり前のルールだった。共依存の家族には境界線がない。境界線をもつことを許されていない。じぶんと相手の感情が入り混じって区別がつかなくなっている状態が共依存の家族における境界線のあり方だった。
これが健康な境界線だとすれば
これが共依存のルールの下で自他が入り混じった状態の境界線の在り方だ。
わたしたちは後者のルールで育って、そのルールをじぶんたちのあたらしい家族にも適応していた。
でもわたしはあなたじゃないし、あなたはわたしじゃない。
あなたの気持ちはわたしには分からないし
わたしの気持ちはあなたには分からないのだ。
言葉にして伝えてくれないと、察するなんてできない。
察することができていると思っていてもそれは単なる妄想に過ぎない。もしじぶんが相手の気持ちを分かると思うなら、それは傲慢だ。驕り以外のなんでもない。
相手の気持ちは相手に聞いてみなければ分からない。
人と人とは分かり合える
その考え自体が「共依存」の概念に支えられた思い込みだったのだ。
「人と人とは分かり合える」というのは、わたしが生み出した幻想だった。
わたしはそもそも出発点が間違っていたんだ。
ここからスタートすることが必要だった。
相手の気持ちは相手に聞く。
じぶんの気持ちは言葉にして相手に伝える。
こんな当たり前な認識がわたしたちには欠けていた。
わたしたちは分かり合えない
ここから始めよう。
たとえ家族であっても、結婚していようとも、相手は別々のからだと心を持った「他人」なのだ。
「分かりあえる」という幻想を捨てて、「分かり合えない」ことを前提とした丁寧なコミュニケーションをしよう。
思いやりと敬意を持って相手に接しよう。
「違う」ということを尊重しよう。
分かり合えるように言葉を尽くそう。
そこからわたしの新しい人間関係が始まる。
うれしいです!!!!