江戸時代後期に誕生した健康 #1
健康というと素晴らしいものだし幸せなことのように思えますが、どうして健康であることが問題になるのでしょうか?そもそも私たちは健康とは何か?を知りません。一人一人がなんとなくイメージしているモノがあると思います。しかしそれは定義化されていないのでイメージしているモノが個々にズレているかもしれません。
例えば健康のために「都会から田舎に引っ越して自給自足の暮らしをしています」という人もいれば「田舎から都会に引っ越して利便性の高い暮らしをしています」という人もいます。前者にとって健康とはなるべく文明が介入せず自然状態に近いことかもしれないし、後者にとっては医療にアクセスしやすいことかもしれません。健康というイメージにズレがある状態で両者が議論しても、たいていは「そんなのは健康とは呼べない」と言い合い、ストレスが溜まって終わるだけです。
そこでまずは健康という言葉が意味しているモノのイメージを統一するために健康とは何か、どのようにこの概念が誕生し、どのように使用されているのかを探っていきます。その後、健康の何が問題になるのかを挙げていきたいと思います。
健康という言葉は江戸時代から明治に変遷する中で生成され普及していった言葉です。もちろん不調の無い人、痛みのない人、体力がある人はいたと思うのですが、それは健康という概念ではありませんでした。どちらかというと「健やか」「丈夫」という言葉で表されていたようです。一八〇〇年までの記録された文献で「健康」という表記はありませんでした。
「健康」という言葉がようやく登場してくるのは天保七年(一八三六年)高野長英が書いた『漢洋内景説』、嘉永二年(一八四九年)緒方洪庵が書いた『病学通論』です。高野長英も緒方洪庵も江戸時代後半に西洋医学を学び、普及に努めた人物です。
彼らはもともと一般的に使われてなじみのあった「健やか」「丈夫」ではなく、あえて西洋医学的概念の言葉として当時聞きなれない「健康」を使っています。
なぜわざわざ馴染み深い「健やか」「丈夫」ではなく新しい言葉「健康」を使っているのでしょうか?西洋医学を普及させたいわけです。それならみんなに伝わる言葉の方がよいと思いませんか?
○○コンサルタントみたいな人が「ソリューション」とか言っているのを聞いて「解決策って言えばわかるじゃん」と思うことがあります。まあそれは「ソリューション」の方がかっこいいし専門家っぽい感じがでるから言うのでしょう。
長英や洪庵が「健康」という言葉を用いたのも、その方がかっこいいからでしょうか?違います。でも専門家っぽさを出すために使ったのはあるかもしれません。
なぜ(当時)一般的な「健やか」「丈夫」ではなく、あえて「健康」を用いたのかというとそれは明確に異なる意味を持っているからです。何が異なっているのかというと主観的か客観的かという点です。「健やか」「丈夫」は自分の感覚で判断するものであり、「健康」は臨床所見を材料に判定されるものであるということです。健康文化を研究している北沢一利氏によれば解剖学的構造や生理学的メカニズムなどの医学的根拠に基づき客観的に判定される、と述べています。
近代になるにつれ西洋医学的な身体観が移入され、生理学的な良し悪しを客観的に測定する技術、つまり診断技術を持つ専門家(西洋医)が登場するのです。
西洋医が生理学的観点から客観的に測定し「正常」と判断された身体のことを「健康」としよう。そうしよう。というわけで「健やか」「丈夫」とは異なる意味を持つ「健康」が誕生したのです。