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【不登校】チャンスはピンチの顔をしてやってくる、は、何度も経験します!!
不登校生活をしていると、たまに言われることがありますね。
「チャンスはピンチの顔をしてやってくるんだよ」と。
不登校対応で親子とも身を削るような日々。その中でもたまに、決定的に悪いことが起こってしまったように思い、身も心もボロボロになるように感じることがあります。
もう立ち上がれない。私も何度もそんな風に思ってきました。
でも•••何とか立ち上がってこれましたし、なんならそれが必要だったと思うことがたくさんあります。きっとこれからもそうでしょう。
長男に続き次男も学校へ行けなくなった時
長男の不登校に続き3ヶ月後。次男も自分で不登校を決めます。
私はもう何の力も残っていないような中、一生懸命気持ちを奮い立たせて頑張っていました。だけど次男が学校に行かないと決めてから2週間が経った頃•••私の身体を異変が襲います。
とんでもない眩暈。吐き気。とてもじゃないけれど立てない。
後日、良性発作性頭位めまい症と診断されますが•••本当に大変な感じでした。
その頃、とんでもないストレスでした。やらなきゃいけないと思い込んでいた、次男の習い事のお当番。仕事。家事。子どもらを安心させたいこと•••
今考えなくても明らかに頑張りすぎでした。。。
眩暈がしてベッドから起き上がったものの、そのまま動けない時。同じように起立性調節障害で苦しんでいるはずの次男がやってきました。
「母ちゃんできたよー」
手には、ほうれん草の味噌汁、鮭の塩焼き。それから冷凍ご飯をチンして器に入れたもの、でした。
次男は5年生でした。料理をよく見て手伝ってくれてるとはいえ、本人も眩暈やしんどさの中•••大変だったろうと思います。食べながら涙が出ました。長男も母の異常事態を察知し、自分の出来ることを頑張ってくれました。
自分にとって辛いことが起こることで、子どもらのことも受け入れられた
私に突如ふりかかった眩暈、体調不良。こんなに酷いんだ。。。体調の悪い中、頑張るのは無理だ。子どもらもこんな苦しい中頑張っていたのかもしれない。辛い中で頑張ることなんて出来ない。
そう思うと、すとんと肩の力が抜けていったように思いました。
子どもらはきっと大丈夫だ。私はまずそう思いました。いえ、思えました。
辛いことがあっても、きっと協力して乗り越えていける。少しずつ良くなっていく自分の症状を感じながら、私はそう思いました。
周りに「助けて!!」と発信できるようになった
限界を迎えた私は、周りに「出来ない」と言うしかなくなりました。立てないのですもの。習い事のお当番はしばらくやめて活動停止にしました。友達は病院に連れていってくれました。実家から母が、全てを背負ってやってきてくれました。周りは私を心配してくれていた方も多くいて、ほぼ何を言われることもなく私の負担を引き受けてくれました。
私は•••限界が来ないと「助けて」と言えませんでした。
反対を言えば、限界が来たからこそヘルプが出せたのです。
底に落ちたからこそ、掴めるものもあるのですね。
こういうことを何度か経験してきました。
ピンチをチャンスに変えるヒントは、それをどう捉えるか•••その意識だけだろうと思いますが、ピンチの後には本当に、親も子も大きな変化を遂げたことも多いです。
きっとこれからも迎えるだろう、ピンチと大変革。
何か「ピンチだ‼️」と思える事態が来たら、今度は何を得られるかなと、何とか楽しみにしつつ、乗り越えていきたいと思ってます•••😀
今日もありがとうございました。
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