令和5年夏、熱狂甲子園塾!(その3)
慶應現象
持ち込まれた応援
今大会は慶應義塾高校の優勝で幕を閉じた。
慶應は強かった。センバツや神奈川県大会を見ていたファンならば、間違いなく慶應を優勝候補の一校に挙げていたはずであり、優勝は実力どおりだったといえる。
だが、大会では選手たちの頑張りよりも応援のほうが注目されることになってしまった。
慶應への応援は、試合を重ねるたびにヒートアップし、決勝を迎えたときには度を超えたものになった。
そうした慶應現象は物議をかもし、閉幕から十日以上が経った現在もネット上にはその是非を論じる新たな記事が掲載されている。
様々な分析がなされた中で、デイリー新潮は、「大学野球的な応援で、神宮のノリをそのまま甲子園に持ち込んでしまったのは申し訳なく感じています」という慶大名誉教授の池井優氏のコメントを紹介した。
私も、あの慶應現象を語るには、応援が「持ち込まれた」という表現が適当だと感じる。
甲子園では、ときおり片方のチームが異様なほどの大応援を集めることがある。
そのため、今大会の慶應への大応援も、これまでの風景と変わらないという意見が一部に見られた。
しかし私は、決して同じではなかったと思う。
今大会の熱狂は、甲子園で生まれたものではなかったからである。
古くは佐賀北高のがばい旋風や日本文理高の大逆襲、昨年ならば大阪桐蔭高が突如ヒールになって下関国際高に鋭角な声援が集中したことなどなど、それらの観客席の熱は、すべて甲子園の中で生まれたものだった。
これに対し、今大会の慶應への異常な熱は、あらかじめ外部に潜在的にあったものであり、それが甲子園に持ち込まれたものであった。
そして、慶應の応援が一戦ごとに加熱するほどに、相対的に選手のプレーへの注目度を下げ、結果として「慶應」が勝ちさえすればいいという雰囲気をつくってしまった。
平成18年の夏は、慶應義塾と常に比較される早稲田系列の早稲田実業高が優勝し、早実フィーバーが巻き起こった。
そのとき、ハンサムとハンカチとによって斎藤佑樹選手個人の爽やかさの魅力が増幅されていたし、その奥では早稲田ブランドが輝いていた。
それでも、フィーバーの中心には、連戦を一人で投げ抜く斎藤投手のピッチングそのものがあった。
しかし、今大会の慶應は、たとえば小宅投手は準決勝・決勝と誰が見てもいいピッチングをしたというのに、熱の中心にはいなかった。
今夏の中心は、あくまでも観客席にあった。慶應は、外から熱を観客席に持ち込んだ。
特に決勝戦では、マスメディアが加担して、対戦相手の仙台育英高を脅かすほどの暴力的なものを。
その熱のため、仙台育英に大きなミスが出て、慶應にも小さなミスが出た。
だが、そうしたプレーとは関係ないかのように、慶應は、観客席から勝利だけをもぎとっていった。
その点が、残念だった。
その決勝戦、私は、テレビの音量を絞って観戦した。昨年の大会とは、明らかに異なっていた。
福澤先生
私は、教師としてときどき福澤諭吉と慶應義塾の話を生徒にする。
慶應では「福沢」ではなく「福澤」を使い、福澤諭吉だけを「先生」と呼んでいることなどを併せて紹介する。
慶應義塾に無縁だった私は、そんな話をしながら、独特の文化を持つ慶應に多少の羨ましさも感じている。
しかし、私にとって慶應の魅力は、詳しくは知らない学校文化にあるのではなく、何と言っても、福澤諭吉その人にある。
幕末から明治の激動の時代に、運命を味方につけ自らの才能をフルに発揮して魅力的な一生を送った人物。
明治の言論界をリードし続けた彼の文章は今もたいへん示唆に富んで面白く、教科書でもっと取り扱ってほしいと思っている。
その福澤諭吉と、現代までにつくられた慶應義塾の学校文化はもちろんイコールではない。
明治初頭にいち早く西欧の様子を紹介し、グローバルな視点を持ち続けた福澤先生にとって、今大会で慶應義塾が内輪ノリの閉鎖的な文化を見せつけたのは、おそらく本意ではないことだろう。
※長くなりましたので、続きはさらに回を改めます。
繰り返しますが、この文章に何かを批判する意図はありません。
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