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母娘共依存 - 友人からのサプライズは人生最高の誕生日(後編)
誕生日というのは、年に一度やってきて、否応なしに、自分自身を見つめる機会になります。
今年は祝ってくれる人がいるとか、いないとか。
今年はそんなの忘れるぐらい、仕事に熱中できたな、とか。
~~本編は、誕生日忘却事件の続きになります。~~
「母娘共依存」前編をご覧になっていない方は、こちらから。
誕生日忘却事件のその後
母は、いつも、私のことを誇りに思ってくれていました。
人前で私のことを自慢する母に、私は「そんなことないよ」と言いながら、どや顔していたのだと思います。
母は、大好きな娘のために、誕生日にはいつも私の大好きなハンバーグを作ってくれました。
弟の誕生日忘却事件があってからというもの、私自身家族に対する接し方に差があることに気づきます。
私は、明らかに母への依存度が高く、父親に対してはしょっちゅう冷たく当たっていました。 (そこまでではないです。優しくです。)
病気を抱える弟に対しても、どこまでぶつかり合って良いのか分からず、適当な距離を保っていました。(そんなことをしていたら、嫌われました笑)
「私は、結局、親の愛情を独り占めしたいだけなのでは・・・?」
ふとよぎったこの考えは、間違ってはいませんでした。
自分自身の態度の偏りに気づいたとき、実家暮らしの私は身動きがとれなくなってしまいました。
(私が大学生の頃には父も単身赴任を終え、家族全員で実家に暮らしていました。)
今まで一番大事にしてきた家族が、私のせいで壊れようとしている・・・?
事件のすぐ三ヶ月後。今度は私の誕生日が近づいてきました。
もし、母が、誰かが、誕生日を祝ってくれたとしても、それは本当に私のためなんだろうか?本当は、私が無理矢理、気持ちを強要しているだけなのでは・・・?
自分は、誰にも何も与えられない。誰にも認められなくて当然・・・。
などど思い詰めたら、誕生日など消え去って何事もなかったかのように過ごしたい、と考えるようになっていました。
人生最高の誕生日
社会人2・3年目、人生で一番、自分に自信を失っていた時期です。
自分は何がしたいんだろうか・・・
自分は何に役立てられるんだろうか・・・
仕事も恋愛もうまくいかず、実家暮らしも窮屈に感じ・・・
今まで自信満々だった自分が、全くどっかにいってしまいました。
本音を隠してきた永年の癖がたたり、誰にも相談できません。
何をしてもうまくいかない、相談相手はいない、もうどん底の気持ちです。
そんなとき。
定期的に集まり、職場の愚痴や恋愛相談をしあう地元の友人達と、ちょっとしたクリスマスパーティーをする事になりました。
友人の一人が、結婚をしたこともあり、その他のメンバーでサプライズを仕掛けようと計画していたのです。
クリスマスパーティー当日。サプライズは無事に成功し、当人も喜んでプレゼントを受け取ってくれました。
(人の喜ぶ顔を見るのは大好きなので、久しぶりに心の底から幸せな気持ちになれました。)
今日は久しぶりに息抜きができたし、友人達も元気そうで良かった、などとまた人のことを考えていると、突然・・・
ハッピーバースデーの曲が流れ出したのです!!!!
(12月生まれは私だけ・・・。)
私は、人生で初めて、他人からサプライズというものをされました。
サプライズを仕掛けていた裏で、自分のサプライズが計画をされていたとは知らず・・・ただただ、友人達の愛情が胸に突き刺さって、しばらく涙が止まりませんでした。
「最近、ごりみ、なんか元気なかったから・・・」
友人たちはそう言って、私が一人で悩んでいる訳を、聞き出そうとしてくれたのでした。
*
私はこのとき、自分以外の誰かを信頼することを、学びました。
人は、支え合って生きている。
本当にありきたりな言葉ですが、今、身にしみて感じます。
周りには家庭事情を一切説明せず、自分一人で進路選択をしてきた、と思い込んでいた自分が、実際はたくさんの周りの人たちに支えられて生きているということ。
人を頼ることが、決して逃げ道ではないということ。
信頼しあってこそ、人間関係が築かれていくということを、そのときようやく理解したのです。
「何かしてあげたわけでもないのに・・・ごめんね・・・」
サプライズをしてくれた友人達からすれば、そんな言葉は欲しくないはずです。
私が少しふさいでいるのを見かねて、ただただ純粋に、元気づけたかったのだと思います。
私は、これまでずっと、事情を秘密にしていたことに、申し訳なさを感じました。
もちろん、全てをオープンにする事が、人間関係をより良くするというわけではありません。
ただ、助けが必要なときに助けてもらえるだけの、オープンマインドを、相手に見せるべきなんだと思います。
母娘共依存からの脱却
それから私は、友人達との関係性を改めて見直しました。
自分にとってかけがえのない存在に対しては、少しずつ自分の気持ちをオープンにしていこうと、家族以外の周囲の人たちに心を開く努力をしてきました。
*家族*は、目に見えて「確実」で、それがゆえに、固執します。
*友人*恋人*パートナー*は、「非確実」で、壊れやすく、疑い深くもなります。
私が中高生の頃、「結婚したい」ばかり言っていたのは、いずれ今の家族のもとを離れても、未来永劫続く「確実性」が欲しかったのでしょう。
友人・恋人・パートナーは、なんの契約も血のつながりもありません。「家族」という枠組みに比較したら、非常にもろく、「非確実」です。
そのもろさを、乗り越えてこそ、「信頼」が生まれるのだと、今になって思います。
私は、母からの信頼は、もう十分に得ました。
これからは、一人の社会人として、誰かに求められる存在になりたい、そんな風に考えています。
自分の身の回りの人達について、改めて関係性を見直した結果、この人になら相談できるかもと思えた人たちが、沢山いました。
少しずつですが、今まで秘密にしていた家庭事情を打ち明けることができ、以前よりもお互いのことを理解しあえるようになりました。
また、新しい出会いに対しても、「非確実」な未来を、どう形作っていけるのか、ワクワクするような気持ちです。
*
私の人生はここからリスタートします。
7畳、1k、キッチンだけは広いです。自分の好きなものを自由に作れます。
コロナ騒動があけたら、私が信頼する人たちを招いて・・・
鍋でも囲みましょう!!!タロット占いもしますよ♪♪♪
最後に、私の独立を後押ししてくれたお母さん、本当にありがとう。
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![ごりみ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/33715904/profile_87338177b7e973cec81a692a54636a35.png?width=600&crop=1:1,smart)