「きょうだい児」が”自分の人生”を始めるために
今日は8月31日。
いつものように仕事も終わり。
いつの間にか、夏も終わり。
少しだけ勇気を出して・・・
自分自身の生い立ち、「きょうだい児」について、お話ししたいと思います。
「きょうだい児」ってなに?
最近はメディアで取り上げられたり、支援団体もできているので、もしかしたら耳にしたことがあるかもしれません。言葉自体はじめて知った、という方も沢山いると思います。
「きょうだい児」は、障がいや病気をもった子の、兄弟姉妹のことを指します。私自身、自分がこれに当てはまると知ったのは、大人になってからのことです。
周りの誰にも相談できず、仲間がいることも知らずに生きていたので、非常に生きづらさを感じていました。
なぜ「きょうだい児」は大変なの?
一体なぜ、きょうだい児がフォーカスされるのかというと・・・
例えば、下の子が生まれると上の子が赤ちゃん返りする、というような話がありますよね。
お兄ちゃんお姉ちゃんだって、お母さんに甘えたいんです。
・・・もし、その下の子が、
障がいや病気をもっている子だったら?
「自分は"ふつう"なんだから、頑張らなくっちゃ!」そんな風に考えて、お兄ちゃんお姉ちゃんは、お母さんに甘えるのを我慢してしまう かもしれません。
兄弟姉妹に対する親の対応が、"不平等"だと感じたとき、子どもはどんな気持ちになるでしょうか。
きょうだい児は、一般的な子どもと比べて「我慢」が増えます。
それは、障がい・病気をもつ子の方がどうしても世話が必要になり、親も手一杯になってしまうので、当然のことなのです。
健康に生まれたきょうだいたちは、兄弟に親を独占され、"不平等"とも言える状況にあるにもかかわらず、自分でどうにかしようと頑張ってしまいます。
だから、甘えたくても甘えられない…助けを呼びたくても呼べない…そんな風に生きづらさを感じているきょうだいたちが多いのです。
「きょうだい児」の性格
病気のきょうだいのためにも、自分が頑張らなくっちゃ!
そんな人一倍頑張り屋さんのきょうだい児は、性格も少しだけゆがんでしまうようです。
具体的にはこんな感情を持っています。
①親、兄弟の力になれない自分は無力だ・・・。
②健康な自分が人に迷惑をかけてはいけない。
③自分よりも、病気の兄弟の方が大変だ。
一方で、頑張り屋さんだからこそ、身につけられる力もあります。
自分で言うけど、超努力家だし、超おせっかいおばさんです笑
「きょうだい児」が生きづらかった理由
ここからは、私自身の過去について、カミングアウトします。
「きょうだい児」だったことで、何が辛かったのか、どんな気持ちを抱いていたのか、正直に話したいと思います。
ー自分を殺した日ー
私が4つ下の”弟”の病気と向き合う決心をしたのは、小学校6年生の時でした。
病気が見つかったのは、彼が6歳のとき。小学校の入学時検診で、発覚しました。
はじめ、私は何も聞かされず、親からは「ちょっと病気がみつかってね・・・」と言われたまででした。
私はふーん・・・何だろう・・・と思いながらも、親の顔色が日々悪くなり、なんだか夫婦げんかも増えたので、よく分からないけど「これは触れないでおこう」と、そっとしておきました。
その翌年、"弟"が小学2年生になった夏のこと、私たちは家族4人で旅行に行くことになりました。
6年生の私にとっては小学生最後の夏休み。旅行はワクワクしてたまりませんでした。
新幹線に乗って、最初の目的地へ。
大きな公園でお花がきれいに咲いていたので、あとで絵に描こうと写真をたくさん撮ったのを覚えています。
さて、次はどこだろう♪
私の小学生最後の夏は、そこで終わりました。
連れて行かれたのは、これまで見たこともない大きな病院。
「お姉ちゃん、ちょっとここで待っていてね」
そう親に言われて、訳も分からず一人待合室で待っていた時間の、なんと長く・寂しかったことか・・・
結局、その後のことは詳細に覚えていませんが、宿泊先にチェックイン後、親と二人きりになった部屋で、母から告げられたことは非常に鮮明に(あるいは夢だったかのように)覚えています。
「"弟"くんね、人より長く生きられないかもしれないの。」
母は、私に隠すそぶりもなく、涙を流していました。
夏の旅行の、本当の目的は、弟の病気を治療できる専門の大学病院に行って、診察を受けることだったのです。
そのとき私はこう思いました。
「これから私は、私のせいで、一切の心配を親にかけさせてはいけない。」
幼心に、そんな決意をしたのでした。
ー仮面をかぶる毎日ー
自分の気持ちを抑え込もうと決意した日から、私は常に優等生であることにこだわって生きてきました。
テストは100点が当たり前。
もともと、小学生の頃から図書館に入り浸っている文系ガールだったので、それほど苦には感じず、周りが遊んでいる間もずっと、勉強をしていました。
中学生になると、「文武両道の方が親も安心するし、優等生っぽい」そう思って、部活にも熱心に打ち込みました。
(スポーツをしている時だけは、何もかも忘れて夢中になれたので、心の底から楽しむ事ができました。)
おかげで、勉強もスポーツも優秀、何の心配も要らない子を作り上げる事ができました。
保護者面談で「田中さんは優秀ですので何の問題もありません」と担任から言われたときの安堵感こそが、私の達成感だったのです。
ただ一つ、苦しかったのが、友だちづきあいです。
もちろん、友だちづきあいについても、教師からの評価につながるので、うわべだけでも、極力誰とも仲違いしないようにしようと、心掛けていました。
もしかしたら、私と同じような境遇の子がいたりして、打ち解けて本音を語れる友人ができたのかもしれませんが…。私は親に迷惑をかけないこと、そして成績首位に超超超こだわっていたので、友達付き合いにおいても面倒を起こさないことを心がけ、そして内心では全員を敵視していました。
高校に上がると、似たような価値観の子が集まりやすいので、友人と打ち解けるチャンスでしたが、自分の努力の原動力が、きょうだい児であることをカミングアウトする勇気も無く、自分を開示することができませんでした。
勉強ばっかりはできたのですが、普段の会話の中でパーソナルな事を聞かれると、なんとなくごまかしたりするので、周りからは「頭は良いけどよく分からない変人」と、思われていたようです。
おそらく、弟が知的障害や身体障がいであったら、状況は変わっていたでしょう。
もしかしたら、目に見えるその事実を知って、誰かが優しい声をかけてくれることも、あったかもしれません。
しかし、私の弟は見た目では分からない病気を抱えていたため、学校の先生も、友人も、家族以外の誰にも、知られる機会が無かったのです。
大学に進むと、個人の活動時間が増えたので、人付き合いで息苦しさを感じることはありませんでしたが、誰にも相談できない状況に変わりはありませんでした。
わたしはひっそりと大きな秘密を抱え、常にうわべの人付き合いをしてきたのです。
ー極度の共依存に陥るー
そんな学生生活でしたが、浮ついた話もあります。
私は、中学3年生から大学を卒業するまでの8年間、一人の人とずっと付き合っていました。
当時は中学3年生で、私は周りの友人達が恋愛ごっこに夢中になっているのを、非常に冷めた目で見ていました。
ただ、なんとなく好きな人がいないといけない雰囲気があり、面倒を避けるためにも、恋愛をしているように見せようと(またひねくれた考えを)思っていました。
そんなときに、ちょうど良く距離が縮まった隣の席の彼と、付き合うことになったのです。
彼は非常に負けず嫌いで、互いにテストの点数を競い合うようになりました。
次第に私の"完璧主義"な部分が燃えてきて、時にはライバル・時には良き理解者のような、厚い関係性が生まれてきました。
彼は、私の成績を超えようと、いつも一生懸命になって私にアピールをしてくるので、少しずつ、私の心の中で”誰かに認められる”自尊心が、満たされていったように思います。
そうして、高校・大学と受験を二人で乗り越え、私はいつの間にか、「彼なしでは生きてゆけない」そう思うようになっていました。
ちょっとずつ満たされていった自尊心のために、8年という非常に長い時間をかけて、私はすっかり自分を失ってしまい、彼のものになってしまったのです。
彼に、旅行に行きたいと言われれば、親には「友人の家に泊まってくる」と嘘をつきました。
ひたすら愛情表現をしてくるので、されるがままにしていたこともあります。
嫌なものを嫌と言えず、彼のためならと喜んで我慢をしました。
*
共依存とは、相手から求められていることに対する依存です。
弟が病気と戦っている中、父は医療費を稼ぐために仕事に打ち込み…母は弟の体調をケアしながら家庭を守り…担当の医師と医療スタッフは、未来へ命を繋ぐために奔走してくれる…
何もできない私は、なんて無力なんだろうと、子供ながらに常に感じていました。
こう考えると、共依存に陥った原因は、やはり「きょうだい児」であるがために、子どもの頃から「役割」を意識していたこと、そして誰にも心の内を話せなかったことだと思います。
テストでどんなに良い点を取って、親に褒められたとしても、全く嬉しくなかった。それは、自分にとって、やって当然のことだったからです。何もできないなら、勉強ぐらいしろ。そんな任務を、自分で自分に課していました。
彼氏という他者から「愛されている」状況を作るということは、「誰かに求められている」=「自分は役割を果たせている」という実感を味わうことのできる、手っ取り早い方法だったのでしょう。
なぜ今「きょうだい児」をカミングアウトするのか
8年間付き合ったその彼と別れてから、もう4年も経ちます。
大学を卒業し、新卒入社した会社では新しいことに挑戦しようと、現在はシステムエンジニアの道を進んでいます。
新しい挑戦をすることで、自分は何が好きなんだろうか、何を成し遂げたいんだろうか、そんなことを考える時間が増えてきました。
なによりも成長したと思うのは、こうして自分を少しでも客観視できるようになり、自分から行動を起こせるようになったことです。
例えば、
コロナをきっかけに、自分の時間が増えたのもあって、ブログを立ち上げて初心者エンジニアのための情報を発信しています。
また、
友人と一緒に、頑張る就活生のための支援サービスを立ち上げる、なんてこともしています。
"変わる"きっかけになったのは、泥沼の完璧主義から抜け出して、"失敗"を恐れないようになった事です。
社会人になりたての頃は、仕事も恋愛もたくさん失敗をして、沢山の”経験”を得ました。
失敗を恐れていた昔の私からは、全く想像のできなかった事です。
子どもの頃は、とにかく自分を押し殺して生きていた毎日が、今では、どうすれば自分が成し遂げたいことをかなえられるのか、"自分"について考える時間が増え、毎日が意味のある日々になっています。
ただ一方で、家族の戦いは続いています。
唯一救いなのは、弟が、毎日生きているということ。
「あと一年しか生きられない」
と言われた、当時6歳の私の弟が、ついに”はたち”になりました。
弟が体調を崩す度に、親の顔色もわるくなりますが、母のこぼす愚痴を一生懸命に聞いて、寄り添うようにしています。
そろそろ自分も(結婚適齢期に近づき、汗)
自分の人生を歩んでもいいのかなと、思うこの頃です。
ある人が、「人間みんな、悩みをかかえているものだ」そんな言葉を私にかけてくれました。
何ともない、ありふれた、慰めの言葉ですが、
私にとっては、とても大きな、次の一歩を、踏み出す勇気になったのです。