【小説】初夢なんて見ない➂
第1話
↓↓↓
第2話
↓↓↓
3
『健太郎作戦』は野菜の売り上げを倍ほどにまで引き上げた。
案の定、番組の構成も『娘の完治を願い【初夢草】の栽培に粉骨砕身する農家の父』といったもので、エンドロールには初実と初継がぴったりと顔をくっつけて笑うスナップ写真が映し出され、視聴者の同情を誘っていた。
地上波放送だったことも相まって、番組を見た多くの客が直売所の売場で初実を囲み、応援の言葉をかけた。ほとんどの客は涙ぐんでいて、おひねりを差し出す人も少なくなかった。
初継は【初夢草】の売れ行きが絶好調、とまではいかないが、値段を下げることなく普段の倍売れるようになったことを喜んだ。その日の晩は、初継が勝手に寿司を取り、朝子も叱りながら時折顔をほころばせ寿司を頬張った。
それから二週間経った。
初実はほぼ毎日直売所の納品に連れて行かれたが、初実にとって家や畑の外に出ること自体が新鮮だったようで、駄々をこねることなく、はしゃぎながら出かけた。
直売所では、農家が直接売場に野菜を持って行き、自分で値札シールを発行して、直売所の従業員が空けてくれた売場に陳列する。農家が直接納品する姿が、客の中の野菜の鮮度や安心感を高めるわけだ。それに、客は農家に直接質問ができるので、育てた者だけが知っている調理法や保存方法を詳しく教えてもらえる。
初実も納品作業に段々と慣れていき、拙いながらも、今ではおすすめの料理名を答えるくらいの簡単な客対応はできるようになっていた。
それにつれて、はじめはボディーガード代わりに男性が同行していた納品に、朝子と初実の二人で向かう日も増えてきた。
今日がその日だった。
健太郎と初継が食卓を挟み、朝子が昼食用に作り置きした炒飯を食べている。朝子がいない日の昼食は決まってカップラーメンだったが、今日はちゃんとした料理が用意されていて、健太郎は少し高揚していた。
「あの、初継さん」
「ん?」
二人とも炒飯の皿に顔を半ば埋めるようにして応対する。『健太郎作戦』を提案した日から、自信が付いたのか、健太郎は依然よりもよく喋るようになっていた。
「守さんと初実さんで納品行った日、帰り遅くないですか」
この日の『山の清掃』の当番は守で、まだ食卓には着いていなかった。
「そうかな。朝子だって今日は遅めやぞ」
「だって守さん、午前中に納品に行って十三時くらいに帰って来るのなんて、ザラじゃないですか。俺より一時間も遅い」
「別に、帰ってきてから仕事はちゃんとこなしとるわけやし、気にしとらんよ。そんなこと言われたら、朝子も叱らないかんやろ。あんまり言いたくないんよ、怒ると怖いから」
健太郎が炒飯を口に運ぶ手を止めレンゲを置く。
「でも、初実さんの帰りも遅くなりますよ。それはいいんですか」
「何ね、お前妬いとるんか」
炒飯を含ませながら初継が笑う。「なんでそうなるんですか」と言う健太郎の声が裏返る。焦るとどうしても声が大きくなってしまうのは、健太郎の悩みだ。
ブツブツと否定する言葉を唱えながら、健太郎の顔がわかりやすく赤く染まっていく。それを見て初継が軽く噴き出す。炒飯のネギが机に飛ぶ。
「何、心配せんでええよ。初実やぞ」
「初実さんだからどうだって言うんですか」
初継もレンゲを置き、茶を一口飲む。
「あのな」と、机に肘を付く初継の表情は穏やかだ。
「父親のわしが言うんもアレやけどな、初実を女として見れる人間はおらんて。まあ、若くは見えるけどな、ほれ」
初継が自分の頭を人差し指でつつく。
「ここがな」
健太郎は言い返すことができない。自分は平気だ、問題ないと、佐岡家にとって赤の他人である健常者の自分の口から発するのは、あまりにも無責任だと理解していた。
「何のかんの言ったって、守も同じよ。それが普通だで、仕方ない」
初継が目を落とすと同時に、玄関から威勢のいい声がする。
「帰りましたー」
守は帰って来るなり、風呂場へ直行すると防虫服を脱ぎながら「シャワー借りますね」と叫ぶ。健太郎はこの、誰にでも気兼ねなく接することができる性格を持ち得ていない。
「借りますねって、どうせもう裸なんやろ」と返す初継を見て、多少の失礼なら笑って許してもらえる守を、健太郎はうらやましく思った。
「だから、お前みたいなヤツは珍しいわ。初実のどこに惚れた。娘の親父の前で白状するとはええ度胸しとる」
「いや、まだ何も言ってないですし、っていうか何とも思ってないですし」
一転して笑い飛ばす初継の懐の広さに、健太郎は守を疑ったことを恥じた。少しでも初継を嫌な気持ちにしてしまったことを恥じた。
「しかしなあ、野々村の教え子に悪いやつはおらんで。お前も、守も、仕事に一生懸命やしな。だからこそお前らの頑張りを無駄にせんように、早く初夢草で初実を治さんと」
「え、守さんも野々村先生の紹介なんですか」
健太郎と守は同じ大学出身者だが、守が中退であることもあって、大学時代の話はほとんどしていなかったし、知ろうともしていなかった。だから、健太郎にとって守が野々村と関わりを持っていることは初耳だった。
初継は腕を組み、悩ましげに唸る。
「紹介、っつうかなあ、何て言うか。守がここに来て二年くらいか、その前にファームステイに来てーー」
初継の言葉を、玄関のドアが荒く開けられる音と、初実の絶叫が遮る。
「お父さん、駄目! 初実はもう納品に連れて行けん」
朝子の顔は家を出た時とは明らかに違う血相だ。泣き叫ぶ初実の腕を引っ張る手の甲には筋が露わになっている。
「どうした」と初継が玄関に駆け寄る。守も風呂場から顔を出す。
「だから嫌って言ったんよ! 気持ち悪い」
「落ち着け。初実もこっち来てお茶飲もう、な。おい健太郎、初実連れてけ」
健太郎もあたふたと玄関へ向かう。ヒステリックを起こしている朝子に戸惑いながら、初実の背中に手を回す。
「初実さん、ちょっと、あっちでおままごとしましょう」
しゃくり上げる初実の背中をさすりながら、健太郎は食卓に逃げるように去っていく。
朝子の金切り声が響き渡る。
「金原さんよ! 金原さんが初実にいやらしい目ですり寄ったんよ! セクハラしたんよ! もう『さん』なんて付けんでええわ!」
初実にセクハラ。健太郎が先まで一度疑い、そして否定したものだった。ただ、やったのは金原だった。
金原は果物農家で、隣の町の地主だ。今の季節は、スイカを納品する際に佐岡家と出くわすことが多い。この辺の直売所では最も儲けている農家であり、それを鼻にかけた横柄な態度から他の農家に避けられていた。しかし、避けても金原の方から近寄ってきて、ちょっかいを出される。他の農家は、金原に反発すると畑を荒らされる、という噂に怯えており、そのちょっかいを黙って耐えるばかりだった。
健太郎は、まず最初に金原への憤りに震えたが、初実の女である価値を否定した初継に怒りを覚えたり、その怒りを初継にぶつけるのはお門違いだと自己批判したり、自分の言った通りじゃないかと誇らしげになったり、初実が可哀想だと哀れんだり、色々な感情が押し寄せて、終いにはわけがわからなくなった。
こんな状況でも、初実の背中をさすっている手の平の感触に胸が高鳴って、健太郎は少し情けなくなった。
続く
●○●○●○●○●○
【罪状】不法投棄
初継が炒飯のネギを粗末に机に吐き出した為。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?