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窓から見える景色でとどめる?②

写真は、窓から。ではなく、どこかの教会の上から撮った一枚。広々とスイスのミュンヘンという町を彩る屋根たちが並んでいる。向こうの空はどんよりとしているが、それを覆すかのような、その街並みは本当に綺麗だった。

留学しようと思った俺は、早速そのことを親父に告げた。親父は納得し、すぐに空の便を予約してくれていた。重要な事、大切な事ほど言いたくない俺は、なかなか友達に言えなかったのだが、なんとか勇気を振り絞って口に出した。

「留学するわ!」

そんなタマでもないし、普段ふざけることしかしなかった俺のその言葉はびっくりされたものの、認めてくれた。ただ一番の親友だけは、浮かない顔をしていたのは分かる。それは、最後の練習でもはっきりと出ていた。

先生にも告げ、コーチにも告げた。コーチは暖かく、「おう、行ってこい!」と言ってくれてたし、先生も「お前、いらないから留学行ってこい!行ってこい!」と冗談なのか本気なのか分からないが、それでも空手部に対してスッキリした状態で行けるような気持ちはできていた。

最後の練習。いつも通りのキツイ基礎練をしたあと、ぶつかり稽古と呼ばれるものが最後にあるのだが、それに俺が一番手で出た。簡単に言うと、俺:誰か×その日いる人数(8人ぐらいだったかな)で組手をして、大体8分程で終わる。

最後の練習だったからか分からないが、その時は凄く冴えていた覚えがある。相手が突きをだすのか、蹴りをだすのか。それに対して俺が何を出すべきか、かなり分かっていた。ただ、一番の友人の時だけは違った気がする。

そいつは高身長で突きが早い。その日はいつも以上に増してた。体が当たれば、弾かれ、弾かれた傍から目の前に拳が出てくる。最後だから、と意気込んでも歯が立たなかった。

練習後、そいつは少し泣いていた。普段そんな奴じゃないからタオルで顔の汗を拭くと同時に下を向いて涙も一緒に拭き取っていた

「最後か。」

そんな事を考えると俺までも目が熱くなった。その日の練習の約1週間後、俺は空港のチケットと大きいカバンを2つほどもって、海外に行った。

今でも入国審査官に「Do you have a return ticket?」だったかな?帰りの便は手配済みですか?みたいな質問に「Maybe」と答えたのは懐かしい。yesかnoだろ、そこは。

海外での生活は最初の1か月なにも分からなかった。何を言っているのか分からないし、何を言えば良いのかも分からない。英語に多少の自信があったため、絶望を感じながらよく帰ってた。それでもめげないで勉強したせいもあり、2か月目、3か月目にはある程度の会話は出来ていた。恐るべし成長。

簡潔に言うと、海外での生活は凄く合っていた。気さくな友人とはすぐに仲良くなれるし、何より、自分がここにいるという実感ができた。

日本とは違い、オープンな授業、積極的な質問、意欲の高い生徒たちのアクティビティ。日本とは真反対の生活が居心地良いのは、そこが性に合っていたから、としか言いようがない。

日本に居続けてたら、そんな感情は出なかっただろうし、メリットよりもデメリットを考える人間になっていたかもしれない。

留学で得られた一番の事は、英語力の向上ではなく、人としての価値の向上であった。

留学したことある人間なら、これは同感してくれるのではないか。英語を使うことが最善の目的ではなかったりするのだ。英語を使って何をするかが、プラスとなる。

3か月の留学はあっという間であったが、このことが分かったのは大きかった。

留学後、本当は海外の大学に行きたかったのだが、金銭面上の理由で地元の大学に入ることになった。それは当時仕方なかった選択で、今でも若干後悔している。

大学4年間の生活は、あっという間であった。得られることは少なかった。いや、自分から少なくしていっていた。


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