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俺の話

どうも、筒子丸です。
以前Twitterを始めてから俺の人生が如何に変わったか、という内容で書かせてもらったが、今回は俺が「筒子丸」になるまでの話をしようと思う。長々としている上、暗い話の多い自分語りにはなるが、それでも良い方はどうかお付き合い願えればと思う。


1999年5月12日、東京都某市。
俺はそこで産声を上げた。日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれ、人生と言う長い長い旅路を歩み始めたのである。親父は俺が生まれて間も無く、祖父の起こした中小企業を継いで社長となった。そう、俺は3代目のボンボンとして生まれて来たのである。欲しい物を何でも買ってもらえる程甘やかされていた訳ではないが、小学校5年までガキ筒子は何不自由なく暮らしていた。小学生なりの将来の夢も持っていたが、ある程度年齢を重ねてくると(ああ、俺はこの会社を継ぐんだな)と思うようにもなって来た。だがそんな安定した幸せな家庭に、突如大きな変化が起こる事になる。

2010年1月20日、筒子父急逝。
10年以上経った今でも、あの日の事は鮮明に覚えている。持病の悪化(詳しくは聞かされていないが、おそらく鬱病だと思う)で入院していた父の容態が急に悪化し、母が伯母と夜に駆け出して行った。俺と妹は従兄弟2人と家に残り、俺は呑気にWiiでドンキーコングをやり、料理のできない従兄弟に作ってもらったトーストとカップスープを食べて寝た。そして翌朝いつも通り目を覚まし、リビングへ降りて行くと母が1人、ソファに座って首を垂れていた。いくらガキとはいえ、何かがおかしい事ぐらいは当時の俺にもわかった。
「どうしたの?」
俺が聞くと母は消え入りそうな声で言った。
「Daddy passed away.(お父さん、亡くなっちゃった)」
俺の脳はそれを受け入れる事ができず、数秒間フリーズした。そして、生まれた時以上に大声を上げて泣いた。その時の記憶はここまでしかない。そこからどんな1日を送ったのか、なんなら葬式前後までの日常生活の記憶もない。だがこの時、俺の無意識下に1つ刻まれた事がある。

「お前の親父は資本主義に殺された」

今日日まで俺はこの深層意識を取り除けずにいる。何故こうなってしまったか説明しよう。

中小企業の社長であった親父はとにかく多忙だった。平日は俺が起きる前に家を出て、寝静まった後に帰って来る。土日はゴルフに出掛けているかほぼ一日中寝ている。社長になる前の親父はバイクの乗り方を教えてくれたり、BB弾銃で遊ばせてくれたり、山に連れて行ってくれたりと凄く良い親父で、俺もいつか親父みたいな男になりたいと思っていた。だが社長になってからは俺の相手もしてくれないし、全然家に居ない。家に居ても元気がなくてずっと寝ている。俺の大好きな親父をこんな風にしたのは会社だ。あんな会社絶対に継ぎたくない。そう思っていた矢先、急に親父が死んだらその憎悪が向くのはもちろん会社、そして資本主義だ。

後から聞いた話だが、当時俺に会社を継がせる継がせないで親戚間で大戦争が巻き起こっていたらしい。親父が直接俺に言った事はなかったが両親は俺に「自由に生きて欲しい」と思い、絶対に会社を継がせないと俺が生まれたその時から決めていたそうだ。これが俺が異常に「自由」に拘る要因の1つだ。この大戦争の主力、親父が亡くなった事で戦況は悪化、俺と母、妹は血で血を洗う遺産争いの末に父方の親戚全員とほぼほぼ縁を切る事となった。

その数年後に祖父が亡くなるのだが、その時も遺産の争いは壮絶だった。既に高校生となっていた俺は日本語が苦手な母のサポートをしていた訳なのだが、ここでも多額の金を前にした人間の醜さを知った。「俺は死んでもこうはなりたくない」心からそう思った。

こんな「会社」、「金」、「資本主義」に対するヘイトなんて学生の内は屁でもない。使う額は小さいし、まだ社会の一員にもなっていないのだから。だが、労働のリミットは着々と迫って来る。大学生でも学年が上がって来ると周りは就活を始める。俺はここでも足掻きに足掻いた。周りがどれだけ就活をしようと、ここで俺が波に飲まれたら親父に顔向けできない。俺は自由になるんだ。その一心で俺は頑なに就活をしなかった。
その後、世界はコロナ禍に陥り俺は1人で考え込む時間が爆発的に増えた。彼女はできない。周りはもう間も無く働き出す。でも社会には飲まれたくない。色んな黒い思いが渦巻き、俺はとてつもなく病み、狂っていた。川原でハンマーを振り回して叫んだり、大木にタックルしたり、無意味に焚き火を起こしてボーッとしていたのはこの頃だ。行き場のないこの焦り、怒り、やるせなさ。親父を殺した相手が人間だったならばそいつに憎悪を向ければ済むものの、俺の場合は資本主義。殺せる訳がない。

そんな中、Twitterに出会った。既に狂っている俺が、狂っている心の内を吐露するとみんなが面白いと言ってくれる。いいねしてくれる。しかもみんな社会に中指立ててるような奴らばかり。そんなTwitterが俺にはたまらなく居心地が良く、俺はTwitterにのめり込んだ。

その結果Twitterを通して彼女ができ、以前書いた通り彼女の為に働く道を選んだのだが、正直俺には無理だった。激務過ぎた事もあったが、自分が資本主義に飲まれていくと言う感覚が何よりも俺を狂わせた。気づくと俺は泥酔した時、誰に言うでもなく「殺す」と口走るようになっていた。自分でもよくわからなかったが、おそらく深層心理の社会への憤りから来る物だろう。俺はやはり、幼き日の十字架を背負ったままでは、いくら恋人の為とは言え資本主義に飲まれる事はできないのだと痛感した。

結論、今の俺に人生の正解はわからない。と言うか人生の正解なんて誰にもわからないだろう。俺はこれからもこの歪にひん曲がったパズルのピースをはめられる場所を求めて試行錯誤して行こうと思う。そんな日々の中で狂っている俺を、noteやTwitterを通して見守って頂ければ俺は幸せだ。


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