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セカンドオピニオンについて考えてみた

日々の日課のVoicy。

『荒木博行のbook cafe』
『澤円の深夜の福音ラジオ』
『西野亮廣エンタメ研究所』

この3つは毎日更新されていることもあり、
必ず拝聴している番組だ。

どの番組も示唆に富んでおり、
多くの気付きや学びのキッカケをいただいている。

そんな中『澤円の深夜の福音ラジオ』
【第868回】無駄なプライドが
 人の人生を狂わせる話。
」を聴き、
色々と考えさせられた。

そのうちの1つはツイートしたので、
いつものように貼り付けてみる。

ツイート以外にも、
医療のセカンドオピニオンについて
考えるキッカケを得たので、
つらつらと書いていきたい。


医師のプライドがセカンドオピニオンを拒否する事例


澤さんの放送中で語られているような
エピソードは実際にあるだろう。

医師としてのプライドというよりは、
人間として奢りに近いような、
まさに無駄なプライドを持っている人が、
患者の心理を理解しようとしない場合に、
起こる可能性が高いと思われる。

たまたま、医師や、セカンドオピニオンという
例えがあがったが、無駄なプライドを持っている人は
職種に関係なく存在するのではないだろうか。


薬剤師がセカンドオピニオンについて語る


今回セカンドオピニオンについて書くが、
私は薬剤師であり、もしかしたら次のように
思われる方もいるかもしれない。

薬剤師がセカンドオピニオンについて語るの?

薬剤師という仕事が見え辛いこともあり、
そんな意見があったとしても仕方がないことだろう。

しかし、私のように町の薬局に勤務する場合、
医師の前では言えないことを、
薬局で吐き出す方は少なくない。

そうした患者が吐き出した気持ちを、
どのように受け止め、
どのように解釈して、
どのようにフォローしていくか、

医療従事者として腕の見せ所でもある。

私は実際に、患者が吐露した気持ちに配慮し、
患者にセカンドオピニオンについて提案し、
医師にもその旨情報共有しながら、
患者も医師も満足する形で、
上手くいった事例を経験している。
(ザックリとした表現だが…)


患者側の要因


患者がセカンドオピニオンを考えるときに、
どんな背景があるのだろうか?

・患者の期待と実際の診療にギャップがある
・患者の期待とは『治る』こと
・他にも『不安を解消したい』という期待もある
・実際の診療を受けても良くならないと感じている
・受診しても不安が解消されないと感じている

こんなことが考えられるのではないだろうか。

澤さんも放送中仰っていたが、
患者は『治る』という状態を求めて、
病院を受診している。

『治る』という希望を持つことは大切だ。

しかし、実際に医療現場にいて感じるのは、
多くの患者が『治る』病気しか
この世に存在していない
と考えていることだ。

上記の『不安を解消したい』にも繋がるのだが、
医療では解決できない場合に、
不安や悩みを抱いてセカンドオピニオンを
希望することも往々にしてある気がする。


医師側の要因


対して、医師がセカンドオピニオンの場面に
遭遇した場合に何を考えるのだろうか。

放送中にあるような、
無駄なプライドを持っての対応は論外として、
誠実に対応していても上手くいかないということも、
実際の現場ではあるだろう。

・そもそも『治る』とされている病気か?
・患者の訴えの原因は身体的な問題なのか?
・患者の訴えの原因は精神的な問題なのか?
・患者の訴えの原因は心理社会的な問題なのか?
・別の病院に紹介する場合に実際に通院可能か?
・患者の生活背景から紹介は可能か?

ザッとあげてみたが、実際の医師の頭の中では、
もっと多くのことが考えられていると思われる。


患者のセカンドオピニオンという希望を受け入れればよいのか?


セカンドオピニオンという行為そのものは、
患者の特権だと思っている。

それを邪魔する権利は、
医療従事者側にはないのだろう。

しかし、実際によくある事例として、
セカンドオピニオンとして多くの病院を受診しても、
一向によくならないこともある。

また、セカンドオピニオンで受診した病院が、
科学的根拠に乏しい医療を提供しており、
経済的に困窮するばかりか、
最終的には命を落とすこともあるかもしれない。

医療には限界があるし、
医療以外の解決方法を考える必要だってある。

そうした意味では医療従事者側は、
社会的処方も含めて考えるとよいのかもしれないし、
患者側は身体的苦痛を解決するのは医療だけではない
と知ってもらうことも大切かもしれない。


結局は医師と患者の信頼関係


セカンドオピニオンに関する問題の多くは、
結局のところ、コミュニケーションや、
信頼関係といった側面が大きいのではないだろうか。

コミュニケーションの問題は、
人間である以上、付き纏うものである。

信頼関係は、コミュニケーションが取れていないと
なかなか醸成されにくいものだ。

放送中の例えの場面でも、
コミュニケーション次第では、
無駄なプライドの有無に関わらず、
上手くいかないこともあるだろう。
実際に信頼関係があれば、
問題になることはないのかもしれない

いつものように、まとまりの無い文章だが、
放送を聴き考えたことをつらつらと書いてみた。

エビデンスを探して考えを補強するわけでもなく、
ただただ考えたことを日記感覚で書いただけなので、
論理が飛躍したり、度を越した表現になっているかも
しれないが、特にだれが悪いとかそんなことを
言うつもりもないので悪しからず。



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