インターネットと、情報という選択肢と、その出会いとを自分の中で言語化してみた件
選択肢を得た上で判断して行動する
先日更新したnote記事にそう書いた。
私のポリシーとも言える言葉である。
◼️『人生は選択の連続だ』と言われる
選択の際に
どれくらいの選択肢があるのか?
自分の持つ選択肢に対してどう思うのか?
ある選択肢を選ぶとして自分はどうなるのか?
選んだ末の自分に対して自分自身どう感じるのか?
色々と考えながら進んでいくことになるのだろう。
自分の人生を振り返ると、
選択肢をほとんど持っていなかったように思う。
高校受験のときだったり、
大学受験のときだったり、
就職するときだったり。
選択する際には、色々と悩んだりした。
今になって、たくさんの情報に触れることで、
世の中には、多くの選択肢があることに気付く。
もしもあのときに選択肢を持っていれば
そんな想像をしてしまう。
とは言いつつも、
あの頃に戻りたいとは少しも思わない。
ただ、あの頃に選択肢を持っていたら、自分の人生は
どうなっていたのだろうと妄想すると楽しくなる。
◼️選択肢を得るためのインターネット
インターネットによって
誰もが世界中の情報に
アクセスできるようになった。
それにも関わらず、情報を知る者と知らない者には、
格差とも言える事態が生じていると言われている。
情報を得ることは選択肢を得ることに繋がる。
だとすれば、情報を知らないものは、
選択肢を持つことができないわけで、
そうしたことが、悩みや不安に繋がるのでは?
そんなことを考えた。
◼️教育格差と出会い
そう言えば先日
脳科学者の茂木健一郎さんのVoicy
『もぎけんの脳ラジオ』を聴いていたら、
『教育格差はお金のせいなのか』と問うていた。
8月18日の放送だ。
教育格差は経済格差から生まれる、
最近よく聴く論調に対して疑問を投げかけていた。
教育格差を生んでいるのはお金ではなく、
出会いがないことなのではないか?
インターネットでどんな情報にもアクセスできる。
Google Scholarを使えば誰でも論文を読むことが
できるのに、Google Scholarの存在を知らない人は
アクセスする機会を得られない。
存在を知ることを『出会い』としているようだった。
これを聴き、ほんとその通りだな、と大きく頷いた。
◼️たくさんの情報の中で
インターネット上には
ありとあらゆるものと無料で出会うことができる。
放送中にもあったが、英語を学びたければ、
クオリティの高い動画を見ることができる。
そうした存在を知らなければ、英会話教室や、
英語の塾にお金を使うのだろう。
もちろん、動画で見るのと、実際に英会話教室に
行って得る体験はイコールではない。
動画で済む人もいるだろうし、
動画が肌に合わない人だっているだろう。
英語を学ぶ上でのコンテンツは他にもたくさんあり、
そうしたコンテンツを知っているかどうかが重要だ。
選択肢を得られれば、それらを比較した上で
『何を選択してどうなりたいのか?』と
考えることができると思う。
◼️インターネットは世界に繋がっていない
その一方で考えさせられること
見出しは8月1日のVoicy『西野亮廣エンタメ研究所』の
タイトルである。
放送中『インターネットは無条件で世界中に
アクセスできるわけではない』という言葉があった。
情報を検索する際に、検索ワードを入れる。
その検索ワードは、検索者の知るワードになり、
知らないワードを検索に使うことはできない。
また、広告についても語られていた。
ネット上のあらゆるサービスは、各個人に
最適化されており、ダイエットに興味がある人には
ダイエット関連の広告が表示され、興味がないものは
広告として表示されることはない。
情報社会の大前提とのことだった。
選択肢を得たいのであれば、選択肢に触れる機会を
自ら積極的に作らなければならないのではないか?
そんなことを考えさせられた。