家事としての料理、趣味としての料理
どうも、ゴリ松千代です。
蒸し鶏と鶏チャーシューならどちらが食べたいか、とキッチンにいる妻が疑問符を投げ掛けてくる。食いしん坊な私はどちらも捨てがたいと言ったような表情で、胃袋のはるか底から低く迷う声を出した。そんな優柔不断な態度はいつもの事だったのだろう、妻は返事を待たずして無言で動き出す。気がつけば鍋が2つ用意され、選択肢2つともがそこに並んだ。肉ではあるが、両手に花だ。最大限の感謝を示し、瞬時に平らげる。
家事のうちの一つ、料理。私が考えるに、『冷蔵庫にある物を応用出来る』『完成までのスピード(効率)』『洗い物が少ない、洗い物を溜めない』……思い当たるだけでもこれらの要素が、『家事としての料理上手』だなと思う。残り物の集合体の場合、時に名前のない料理が出てきて、その場その場で勝手に名前をつけてみる。冷蔵庫のすみっコで余りがちな素材を使っているため、その名前を出せばそれはまたすぐに食卓に並ぶ事もあろう。味が伴っていれば尚更だ。これが料理上手のなせる技か、と私は舌鼓を打つ。私はこういった効率の良さに憧れがあり『時間は極力短く、洗い物も極力少なく』を優先しているタイプだ。調理の合間をぬって洗い物を片付けていくくらいに。で、美味いかと問われたら妻の前で即答するのは正直かなり難しい。すぐ隣に上がいる事の辛さ。
ネットや本で調べて、普段食す料理に対してシナジーの低い調味料や食材を購入し、2時間も3時間もかけて作ればそれはその時だけ美味いかもしれない。特別な日ならまだしも、普段の生活でやられてしまうと首を傾げてしまう。『3C男』だなんて最近揶揄されているのを見たが、スパイスの大量購入なんてのがまさにそれだ。経済的な余裕、時間的な余裕があるなら別だが、良くも悪くも趣味なのだなと思う(否定するつもりは無い)。当然これはこの場限りとしての感想で、経験を積んでいけば家の料理の種類はそちらに流れていくだろうし、経験により効率も上がっていくだろう。『家事としても趣味としても料理が出来る』妻は、確実に特技と言って差し支えない。
また今日もその美味し糧を浴び、生きる糧としよう。