親族と子ども、純粋さの違い

どうも、ゴリ松千代です。


いきなりネガティヴな事を申し上げるが、あんまり好きではない……いや、嫌いなイベントがある。それが『親戚付き合い』ってやつだ。血が繋がっているというだけで忖度しなくてはいけない人間関係。この絶妙にオープンでクローズな会合。お小遣いがもらえた頃は好きだったのだ。なんなら別にあげるのだって苦ではない。

じゃあ何が嫌なのかって、陰謀論や誤った知識、偏った思想などを声高に語るおじさんおばさんが若干名いるからだ。子ども達の前では本当に勘弁してほしい。この玉石混交の情報社会において、その取捨選択は『一を聞いて十を知る』よりも『十を聞いて一を知る』くらいの精査が必要なのだから。正しくない、もしくは真偽不明な物事を子どもを含めた大人数の前で披露(押し付け)されるんだからたまったもんじゃない。『正しさ』と『議論』だけを摂取させてくれ……頼むよ……。

「含有量0.00%のノンアルコール飲料、表記されていない0.009%以下のアルコールが含まれているから飲み過ぎると酔う」
「5Gのスマホを枕元に置くのは健康に良くない」
「コロナに罹った?コロナワクチンは打ってた?症状はどうだった?ほら、やっぱり打つ意味はない」
「今◯◯のニュースで騒がれているが、それはメディアの目眩し」
「◯◯教(聞いた事もないようなやつ)の神に祈りなさい、しかしこれは宗教ではない」

上げるとキリがないが、真っ当に生きている人間からすれば全てくだらない話だ。反論すると暴言や暴力を行使するおじおばもいるし、立場上注意する事が出来ないおじおばもいる。アルミホイルでも被って目につかないところでひっそりと生きてくれ、もう。そんな言動や反応を自分の子ども達の前で見せたくないんだよ。

ただ人類にとっての救いが一つある。政治批判、陰謀論、都市伝説やらその辺を真剣極まりない表情で語る『あたおか屋さん』ほぼ全員、軒を連ねて子どもがいない事だ。主語デカなので表立って言わないが、少なくとも私の周りではそんな共通項がある。「俺に子どもがいたら良い親になると思う」なんて大変高貴なお冗談をコキ散らかしているおじさんもいたが、あまりに尊大過ぎて頂上が見えないほどの自信だ。私からは最大限の敬意を込めて来世に期待したいと思う。

そんな季節が今年も私にやってきた。「忙しいから行かない」で昨年はスルーしたが、今年もまたそのカードを切るとしよう。


ここだけの話、私も陰謀論やヤバい人は大好きだ。見たり聞いたりする分には楽しい。水ダウの『プロポーズした彼女の実家がどんなにヤバくてももう引き返せない説』なんて文字通りの抱腹絶倒ってやつだった。観る機会があれば、是非。

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