あの時の補完、繋がりと一貫性

どうも、ゴリ松千代です。


私は普段の生活の中で考えなしの楽観主義、苦労も失敗も知らない遊び人に思われているだろう。出来る限りそう見えるように動いているのだから仕方ない。ポジティヴで見ていて気持ちが良い、と褒めてくれる友人もいる。これはその反論ではないが、日常生活の中で自分でも止められない事を独り言として話そうと思う。

私は普段から人を傷つけぬようにコミュニケーションを取っている。これを言ったら傷つくかもしれない、これをやってあげたら喜ぶかもしれない。あくまでも自分が生きて経験した事をディープラーニングとして独りよがりな善意を押し付けているのだが、私が指を折る事の出来る数少ない社会性である。誰かが喜ぶ顔が好きなのだ。そしてそれは自分のため、自分の存在証明のようなもので、「生きてて良いんだ」と(毎回考えている訳ではないが)思える。

その反面、反動、副作用があるのはここからだ。どう足掻こうとも敵意を向けてくる人間、そして関係を切りたくても切れないような人間に対して以前私はこんな事を言った。

その人と過去にあった『どうしても許せない出来事』をまるで昨日の事のように思い出してしまうからだ。それが無限に保存され、無限に積み重なり、無限のストレスを生む。これを私は憎悪の再生可能エネルギーと呼ぶ事にした。

引用元:憎悪の再生可能エネルギー

詰まるところ私は非常に強く根に持つタイプで、「次にあいつからアクションがあった時、何を言ってやったら一番嫌がるか、何をしてやったら一番相手にダメージがあるか」なんて事を日常生活の中で延々と、本当に延々と考えてしまっている。『これをしたら傷つかない』は『これをしたら傷つく』にすぐ変換出来てしまう。シンプルに真逆の事をすれば良いだけなのだから。+1の善意は-1の悪意へ、+500の善意は-500の悪意へ。

数秒の沈黙もなく誰かと会話している時間、「余計な事を考えるな」というワードを意識的に頭蓋骨の中で飛び回らせている時間、そして趣味の時間に没頭している間くらいしか私は私を止められない。子ども達が散らかした部屋を片付ける時間、洗濯物を干す時間、またはそれを畳む時間、あるいはシャワーを浴びながら、この汚い獣のような攻撃性から抜け出せない。何をやっているんだ。もうこれ以上悪意に囚われるな。

黙っていれば黙っているほど、その時間が長いほどに研がれ、研ぎ澄まされていく。思い出さない、考えないを徹底しないと専用の刀は差しっぱなしだ。

引用元:言う時は言う、ただその時が未定の火蓋

私の脳は、下手に自分の認知している情報や良からぬ想像をまとめてひとたびレンダリングしてしまうと格段に処理速度が落ちる。私だって嫌な事は早々に忘れたいし、起こってもいないトラブルに身構えたくはない。

引用元:考えたくない自分、考えない方法

私はこの記事や引用元の通り頭ん中の方が口数が多いし、常に最悪のケースを想定する悲観主義者だし、失敗ばかりなくせにそれを人に言えない矛盾した完璧主義者で、無駄な事を考えすぎて無駄に苦労をする。冒頭とは真逆な脳内会議が、勤務時間など無視してサービス残業中だ。

私は未だこれを止められる気がしない。考えてしまう時間を一時的にでも抑えるために、今日もニコニコしながら誰かと会話しなくてはならないのだ。

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