ソシャゲをやる理由、やらない要素
どうも、ゴリ松千代です。
ポケモントレーディングカードポケット、通称『ポケポケ』を始めた。もうソシャゲには絶対手を出さないぞ、なんて言っておきながらこのザマではあるが、始まったばかりの有名なIPコンテンツは大多数の人が手を出す。今回も例に漏れず周りは皆ポケポケに染まっており、昼夜を問わず「俺とフレンドになってくれ」の文言がであいがしらにグループLINEやインスタのDMを飛び交っていた。
そう、「ソシャゲなんて!」と声高になげつける私も友人となかよくするツールとしての有用さは捨ておけない。いやほんとソシャゲをやる自分を無理やりじこあんじしているとかそんな事ではなく、共通のサブカルトークでおしゃべり出来るという事はなかまづくりでもあり、凡庸なアイスブレイクと違いそれ自体に熱を帯びさせてくれるからだ。このカードが強い、そのエフェクトがうらやましい、あのアイテムはどうやって使うんだ、どのデッキが一番強いのだろう……みんな会話を欲しがっているから、盛り上がる事を避けられない。これがもし自分しかやっていない誰も知らぬソシャゲトークだったなら「ふーん……」とあくびをされて場が凍りつくだけだ。
数日が経過したある日の事、同じくポケポケをしている友人は私にこんな事を言う。「そんなに強いのであれば結構課金したんじゃあないんですかァーッ!?」と(課金はするもんじゃなくされるもんだろという野暮なツッコミはしない)。やれやれ、得意顔でゲームの才能のなさを課金額に責任転嫁するんじゃあない、このきたならしい阿呆がァーッ!とちょうはつ的なすてゼリフを吐く。……嘘です。↑あれはCPUの出来の悪さをつついただけです。
記事タイトルを回収しつつ、前提として言っておく。ソシャゲはプレイするが、課金要素には手を出さない。
例えば半年や1年後、ポケポケを続けている人間が一体どれほど残っているのだろう。趣味を長く続けがちな私にはこころのめで見えるのだ、後ろを振り返るとほぼ誰もいなくなっているであろうあくむが。積み重ねられた課金額はこの時に後悔として重く、大変大変重く私にのしかかる。自動販売機でジュースを買うようにパックをぶんまわす事でとける五千円や一万円。誰も続けていなかったらきりふだを自慢する事も力を誇示する事も出来ない。がまんして本物のポケモンカードを購入した方が将来的にはお金にもなるだろう。
お金を使う事自体を否定してはいない。元も子もない事を言ってしまうが、「何が楽しいかなんて人それぞれでしょ」で完結してしまう。一時期の流行りの中だろうがカードを自慢したい、みんながやっているゲームであやしいひかりを放つカードを手に入れて悦に浸りたい、そもそもランダム要素にやけっぱちでお金を使うと脳汁が出る……なんでもありだ。私がソシャゲにお金を使わないってだけで、楽しみを見つけられる事は大変良い事である。嫉妬こそしないが、うらやましい気持ちはまとわりつく。
警戒してサイフの紐がかたくなる私のような人間に対し、他のソシャゲに比べるとポケポケは少し優しい。コレクター心をくすぐってはくるが、非課金のガチ戦闘狂でも戦えるだけのカードは無料で揃えられる。パックを引き続ける事により『運が悪いせいで引けなかったカード』も任意で手に入れる事が可能だ。あまりゲーム内容に触れるとプレイしていない読者がおいてけぼりを喰らうので控えるが、つまるところポケポケの課金要素とは『貴重なアバターを手に入れるためにお金を出す』という感覚だと思ってくれて良い。
まだサービスは開始早々も早々、最初期の状態だ。これから様々なわるだくみで射倖心をゆうわくしてくる可能性は存在している。魅力的なカードをほしがる事なく、そしてやめていく友人たちを見て傷付かず、会話の道具としてポケポケを続けていきたいと思う。
今回の記事は以下の3つの記事もついでに読んでもらえると私の考えがより理解しやすくなるかと思います。
◇ 友達と趣味とその熱量
◇ 友達と趣味とその熱量・その2
◇ もうソシャゲには絶対に手を出さないぞ、という何度目かの宣言