お寿司屋さんがいなくなったら、社会の繋がりを感じた話
先日、近所のお寿司屋さんのご主人が亡くなった。63歳だった。
40年弱、練馬の端っこで、ご夫婦とその息子さんでひっそりとやっているザ・町のお寿司屋さんで、敷居も値段も高くなく、夜に伺うとひと仕事終えたご主人(私はマスターと呼んでいたけど)が一緒になって晩酌しだす、気楽で居心地の良いお店だった。
濃い近所づきあいがあるわけではなく、でもこどものお迎えとマスターの配達の時間が合うと立ち話をする、ちょうどいい距離感もとても好きだった。(田舎育ちの私はどこかゆるいご近所さんに飢えていたのだと思う。)
そのマスターが亡くなった。もともと飲みすぎで内蔵系が弱っていたのは聞いていたが、ある日体調を崩してコロリと亡くなったという。
友達が来るから贅沢に出前を頼み、そのままのんきに借りっぱなしにしていた寿司桶をお詫びがてら返しに行った日に奥さんから聞いた。亡くなってまだ4日だというのに店を開けようとしているところで聞いた。その後、私は先のつぶやきをした。
どうしてTwitterでこれを呟いたのか自分でも分からない。ショックだったのだとは思う。でも全世界にこれを伝える必要があったのか。コンテンツ消費してるんじゃないの、と読み返して少しいやな気持ちになったりもした。でも消さなかった。消したくなかった。
多分、私は誰かに伝えたかったんだと思う。
マスターが亡くなって悲しかったことを。
奥さんが悲しみにくれる間もなく店を開けなくちゃならないことを。
働くって、生活って、そういうもので、それが気持ちを助けてくれることもあるんだなってことを。
それでもマスターがいなくなった悲しい気持ちはやっぱり消えないことを。
みんなが自分ひとりの体でなくて長生きしなきゃ、悲しい気持ちになる人がたくさんいるってことを。
そんな関係性を築いてくれた感謝を。
これからも奥さんとお兄ちゃんとはご近所さんとして緩やかにお付き合いしていきます。なにかお手伝いできることがあったらするからね。あちらで元気にしていてください。
東京に来て心細い時期にあたたかくしてくれて有難う。
息子のお食い初め、豪勢で嬉しかったです、有難う。
私の小さな社会を繋げてくれて有難う。
今度は私が小さな社会を繋げていきますね。
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