4月15日

同僚4人とビックエコーでオールした。月曜からフルスロットルで今週乗り切れるだろうかと些か不安だ。
あいみょんや米津玄師、ORANGE RANGEにモーニング娘。と新旧交えて歌っている中、
一人がWANDSの『世界が終わるまでは…』を歌い始めた。その瞬間、私の頭に鮮やかによみがえる風景があった。

あれは小学2年生になったばかりの4月の終わり頃である。私は日曜日に忘れ物を取りに学校へ行った。確か算数のドリルだったと思う。金曜日の夜にランドセルに入っていないと気づいたものの土曜日をぐずぐずして過ごし、結局のところ得意のビビリ癖が発動してその宿題を取りに行くことにしたのだった。
昼前に学校に着いたが、休日とあってやはりいつもと雰囲気が違った。誰もいないグラウンド、プール、階段、教室、水道……。机からドリルを回収した後私はなぜか帰ろうとせず、渡り廊下を歩いていた。なんとなく、このまま帰ってしまうのは勿体ない気がしていた。突き当たりの図書室のドアは鍵が閉まっていて開かなかった。一気に淋しさが募り、それから私は上の階へと進んだ。
やっと誰かの声が聞こえてきた。
体育館でミニバスの男子チームが練習していたのだ。
私はその時土曜19時半からのスラムダンクの放送を熱心に見ていて、当時のエンディング曲をWANDSが担当していた。
一人の男の子が華麗なステップで踏み込み、かなり離れたところからシュートを決めた。
揺れるゴールネットとユニフォームの裾で汗を拭く仕草。さらさらの髪。『世界が終わるまでは…』が頭の中で鳴り響いたのを今でも覚えている。

体内を電流が駆け巡った。

本当に、そんな気がした。
私はあまり少女漫画を読まない。いくら普段少女漫画のシュチュエーション・展開にありえないとツッコミをいれていても、自分の身に起きると素直に受け入れてしまうから不思議だ。
私にとってその日のその出来事は、記念すべき初恋だった。

どんなふうに話しかけたかははっきりと覚えていない。少し緊張しながら、でもあくまで自然に、私はその子に話しかけたと思う。
「さっきのシュートすごかったね」
「マジ? マジっすか」
「マジっすよ。かっこいい、キレーなホーブツ線だった」
「やりぃ」
こんな感じだ。しばらくすると男の子は水をゴクゴク飲んで、皆の輪に戻ってしまった。
別の小学校の子であること、水曜日の放課後も練習しているという情報を頼りに、私は居残って彼と話をするようになった。携帯電話も持っておらず、だからこそその時間はとても特別だった。

その頃の私というのが嘘をつくのにはまっていて(なんたる黒歴史!)、一人っ子のくせにニューヨークにダンス留学してる金髪の兄・ジョニーがいると言ったり、シンデレラ城が別荘であるとか馬に乗って登校しているだとか、とにかくしょうもない嘘を吐き続けていた。アホ丸出しである。おそらく、下の名前くらいしか本当のことを言っていない。
好きな人の前では全く素直になれなくて、だけど、笑ってもらえることが何より嬉しかった。彼は他の人に比べて小柄で、前歯2本が大きくて、くしゃみが変で、悪ぶった喋り方をして、深い優しさを持っていて、笑った顔が太陽みたいだった。
あの頃の気持ちを、私はもう二度と味わうことはないだろう。無知で制限のない少女ならではの純粋な気持ち。

「好きな人いるの?」と私はある日何気なく聞いた。
「いる」と彼は答えた。
「同じ学校の子?」
「ううん」
「じゃ、この学校……?」
「うん」
「同い年?」
「うん」
「背は?」
「ちっせぇ、オレより」
「髪は? どんな感じ?」
「ポニーテール」
目と目が合った。
「えっと、じゃあ、名前に花の名前入ってる?」
彼はこくりと頷いた。私は「へぇ」と言った。それきりだった。
きっと、いや、確実に、私のことを言ってくれていた。
どうして「それ私じゃん」の一言が言えなかったのだろう。
恥ずかしがり屋の2人は気まずい沈黙に身を委ね、いつまでも目を伏せていた。

一度、隣町のショッピングセンターに一緒に遊びに行く約束をした。しかし待ち合わせ場所も時間も決めておらず、その電話は当日にかかってきたのだが、私は受話器を取らなかった。運動会の次の日でぐっすり眠ってしまっていたのだ。あとから母親に「朝何回も電話鳴ってたよね。眠くて出れなかったけど」と言われ、あ、と思った。
慌てて最寄駅周辺まで行ってみたが彼の姿は見当たらなかった。どのみち、低学年のうちは子どもだけで遠い場所に行くことは母親から禁止されていたから行けなかっただろうが、それにしても私は約束を破ったのである。只々申し訳なかった。

その後私は父親の仕事の都合で名古屋に行くことになり、彼に謝る機会は失われた。
ショッピングセンターに行っていたら何かが変わっていただろうか。
私たちは両想いだったが、何も始まらなかったし、何も終わらなかった。本当はもっと伝えられる気持ちがあったはずだ。ありがとう、と。それだけでもよかった。
クラスのボス的な女の子に物を隠された時も、友達とうまくいかず2ヶ月無視された時も、風邪をひいてしんどかった時も、自分だけの太陽を頭に浮かべ、私は乗り切っていたのだ。

あの小さな男の子が今どんなおっさんになっているのか、私は知らない。これからも多分知ることはない。世界が終わるまでそっと思い出の中で息づいて、時々今日のようにほんのりとあたたかい気持ちになれたらと思う。

思わぬところで記憶の蓋をこじ開けられた話。

ハマショーの『MONEY』がすきです。