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K One Year Later 11

著:宮沢龍生

第十一回、『宗像礼司の帰還』


 あれから一年経って――。

「アブエリータ(お婆ちゃん)、連れてきたよ!」
十七人いる孫のうち、三番目に若いダビッドが大きな声で玄関から戻ってきた時、マリアナ・カンポス・モレーノは竜舌蘭の繊維で編まれ、なめした豚の皮で表面が張られたエキパレスチェアでうたた寝をしていた。
 アーチ状に切り取られた窓から吹き込むささやかな風についウトウトしてしまったのだ。
 その先にはマリーゴールドが溢れんばかりに咲き誇る中庭が見える。今はもう亡き夫が大好きだった花で、手足が大分、利かなくなった今でもその世話は娘たちではなく、マリアナ自身が行っている。
 マリアナは一瞬、寝起きで混乱した頭で考えた。
(そうそう。ダビッドが命の恩人を連れてくる、って言ってたっけ)
 ダビッド・ウス・モレーノはマリアナだけでなく、家族全員の頭痛の種だった。学校を出てからもフラフラしていて挙げ句、この町で幅を利かせる若いギャングたちと連むようになった。
 いずれろくなことにならないよ、とマリアナが口を酸っぱくして忠告したが、案の定、もっと大きな麻薬カルテルに目をつけられ、仲間たちごと拉致され、処刑されそうになった。
 そのさなかをたった一人の男に救われたらしい。
 正直なところ眉唾な話だが、実際、ダビッドは生きていて、ギャングたちと縁を切るきっかけとなった。その恩人がマリアナに用があるという。
ならばせめて己のささやかな特技を役立てねばなるまい。
「ここさ。ここにいるよ!」
 若々しいダビッドの声に対して自分が発した声の淀み、しわがれ具合に思わず苦笑いが浮かぶ。恐らく『死者の日』で悼む側から悼まれる側に回るのもそう遠くないことだろう。
 その声を聞きつけてダビッドがマリアナのいる小部屋へと入ってきた。
「アブリエータ! ほら、言っていたクリエンテ(お客さん)だ」
 マリアナは目を細めた。
 照り返す太陽によって真っ白に輝く屋外と対比して室内は薄暗く、灰色の影が全てを漫然と塗り込めている。
「すまないねえ。最近は目が悪くて」
 ダビッドの背後に長身の男が立っているのだけは分かった。
「オラ。エス・ウン・オノール・コノセールラ、セニョーラ(お会いできて光栄です、奥様)」
 その男が流暢なスペイン語で言った。マリアナはしばし押し黙っていた。
「……どうしたの、アブエリータ?」
 ダビッドが不安そうに言う。マリアナは男をじっと見据えてから、
「まずは孫を助けてくれたお礼を言わせておくれ。本当にありがとう」
 謝意を述べる。男は首を横に振った。
「あれは完全な成り行きでした。お礼を言われるようなことではありません」
 優雅で、落ち着いた声音だった。
「ダビッド君から伺いました。貴女はチアパス州一のタロット占い師だとか」
「ああ、自分ではメキシコでも三本の指に入ると思っているよ。国会議員もサッカーのスーパースターも国際的な女優も占ってやったことがある。あんたはなにか捜し物をしているみたいだね」
「ええ」
 男は言った。
「少々、〝自分〟を探しておりまして」
 マリアナは目をつむった。口元に笑みを浮かべる。
「ああ」
 あっさりと断った。
「そんな〝とびきり大きなモノ〟は私にはとてもじゃないけど占いきれないよ」
 ダビッドが目を丸くする。
「ちょっと! アブエリータ」
「なるほど。残念です」
 その飄々とした口ぶりから分かった。恐らく少しでも男と関わり合いを持ちたいダビッドが半ば無理矢理、彼をここへ引き連れてきたのだろう。その男自身は占いへの拘泥など欠片もないに違いない。
 マリアナは、
「あとね、これまた大変、申し訳ないんだけど、あんたみたいなとんでもなく大きな男が近くにいると私の残り少ない感覚が狂うんだ。悪いけど出ていってくれないかな?」
 ぶしつけにそう告げる。男は全く怒ることなく、優美な笑みを閃かせた。
「はは、これは失礼しました。では、どうぞ、良い午後を、セニョーラ」
 丁寧に一礼をして部屋を出ていく。それと同時にダビッドが怒ったように祖母に詰め寄った。
「ひどいよ、アブリエータ! あの人は俺の命の恩人なのに! 初めて出会えた尊敬出来る人なのに!」
するとマリアナが不出来な孫を一喝した。
「バカだね! おまえは助けていただいたご恩を返し終わるまであの方にどこまでもついていくんだ。絶対に見失うんじゃないよ。ほら! いきな!」
 ダビッドの目がみるみると輝いた。彼の人生に初めて意義が生まれた瞬間だった。
 彼は転げるようにして男の後を追いかける。大きな声で叫んだ。
「待って!」
 駆け出していく足音がする。
「待って、セニョール! セニョール・レイシ・ムナカタ!」
 やれやれ、とマリアナは椅子に背を預けた。顔を見た瞬間、彼女には分かった。
 あの男は〝宿命〟を持つ者だった。

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