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なにもしない日

著:鈴木鈴
リクエスト:とある日の平坂道反 

 平坂道反の日常は、危険と多忙をきわめている。
《jungle》のuランカーとして任務を行うときもあれば、平坂道反個人として仕事を請け負うこともある。そのいずれもが、潜入や破壊工作といった、非合法かつ一歩間違えれば命を失うこともある危険なビジネスだ。
 平坂はプロフェッショナルでありながら、組織に所属していない――平坂に言わせれば、《jungle》は自由すぎて組織ではない――フリーランスの諜報員だ。自分の安全は自分で担保しなくてはならない。窮地におちいっても、誰も助けにきてはくれないのだ。
 そのためには、臆病とも言える慎重さが必要だ。入念に準備を進め、確実に成功する依頼しか受けない。
 勇気とは無謀である。挑戦とは自殺である。まず勝ってから戦う――それこそが、平坂道反の仕事哲学であった。
 当然、そのような日常は、多大なストレスをもたらす。
 平坂はプロフェッショナルだ。心身にかかるストレスを無視して仕事を続ければ、いずれ破綻をきたすことはよくわかっている。
 そのために――彼女には、『なにもしない日』が必要なのだった。
 
        ◆
 
「…………」
 布団の中で、平坂は目を覚ました。
 むっくりと起き上がる。枕元のデジタル時計を見ると、ちょうど正午を回った頃合いだった。大きなあくびをひとつ。それから、彼女は布団を抜け出して、キッチンへと向かった。
 2Lのペットボトルに直接口をつけて、ごくごくと水を飲む。風呂の湯沸かし器に目を向けると、昨日の設定のまま保温されていた。45度。平坂にとって、最適な温度だ。
 風呂場に入ると、シャワーも浴びずそのまま浴槽に入った。熱い湯にゆっくりと身をひたしながら、平坂は風呂場の天井を見上げ、つぶやく。
「……『なにもしない日』か」
 なにもしない日は、とことんなにもしない。やるときは徹底してやる。それが平坂道反であった。わずらわされたくないから、ビジネス用端末の電源も切ってある。
 平坂は目を閉じた。そうしていると、頭の奥から泡のように、ひとつの思考がぷかりと浮かんでくる。
 自分は、なんのために生きているのか?
 平坂道反は、ある目的のためにカネを必要としていた。そのために、死にものぐるいで稼いだ。今のような慎重さでは目的に間に合わなかったから、危険なビジネスでも構わずに受けた。不測の事態やクライアントの裏切りによって死にかけたことは、一度や二度ではない。
 それでも結局、平坂は、目的を果たすことができなかった。
 それ以降、平坂は惰性で人生を送っている。まだビジネスを続けているのは、それしかすることがないからだ。リスクを回避するために入念な準備をする。そのストレスを軽減するために『なにもしない日』をもうける。すべてはビジネスのため。安全に、滞りなく、生きていくため。
 平坂には、命を惜しむ理由などないというのに。
「……のぼせたな」
 ぽつりとつぶやいて、平坂はおもむろに風呂からあがった。
 身体を拭いて、服を着て、どてらを羽織ったところで腹がぐるると鳴った。生きる理由がなくても腹は減る。そのことにかすかなおかしみを覚えながら、平坂は冷蔵庫へと向かった。

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K Fan ClanおよびK Fan Clan Nextの小説等コンテンツを再掲したものです。

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