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K SIDE:GOLD 01

著:高橋弥七郎

第一章 片し屋・初衣そめい


【GHQ】……連合軍最高司令官総司令部(General Headquarters/Supreme Commander for the Allied Powers=GHQ/SCAP)の略称。一般には、敗戦した日本を民主主義国家として再建するため政策実施の指導監督を行う、連合国占領軍(進駐軍)の総司令部、またはその全体を指す。一九四五年に設置、一九五二年のサンフランシスコ講和条約の発効により解散。

 一九四八(昭和二十三)年一二月。
 敗戦から、三年の月日が経っていた。
 一面の焼け野原だった日本の首都・東京は、既に新たな姿を現している。
 時刻は夕暮れ。開けた通りの中央で、帰宅者を満載した路面電車が鐘を鳴らして鈍行する。行き交うバスやトラックに乗用車までもが、木炭車ではなくガソリン車ばかり。輪タク(自転車タクシー)も増え、客を求めて歩道沿いを舐めるようにうろついていた。
 その石葺きの歩道も、家路や飲み屋へと向かうソフト帽にコートの男らでごった返している。木製電柱の根元には、四肢の欠けた傷痍軍人も見かけなくなった。今では簡易屋台に露店、客引きの女、あるいは靴磨きや荷下ろしの仕事を求め待機する少年が多い。
 黄昏に立つ町並みは、焼け残ったコンクリート製の建物と、間を埋める木造の個人商店とが、揃って庇を突き出している。やや浅くも、ビルの谷間ができつつあった。占領直後の、英語のみという看板も数を減らし、日本語と英語とが雑然と入り交じっている。
 これら、都心を賑わす復興の華々しい光景も、
「はぁ、はぁ……」
 しかし数メートル路地に入ることで一変する。
 通りに面する建物の裏手には、未だ荒涼とした焼け野原が残っていた。大空襲により燃え朽ちた、かつては街、家、人だったもの、全ての欠片が打ち捨てられている。映画のセットじみた表通りとの無残な落差は、むしろ復興の危うさをこそ浮彫にしていた。
 そんな世間の裏道を、
「畜生めっ! 一体なんなんでえ、あいつら……まさか黒くは、ないよな」
 長い影を蹴立てながら、一人の男が逃げている。着古しの国民服に編み上げ靴、というどこでも見かける身形だが、小脇に抱えているのはピカピカの革鞄である。
 と、その背後から不意に、折り目正しい男の声がかかる。
「突き当たり、然る後に左」
「ひいっ!」
 肩を跳ね上げた男は、走る先が行き止まりと気付き、咄嗟にの道に入った。
 一帯は、積み上げられた廃材や誰住むとも知れないバラックが障害物となり、夕暮れの薄暗さも相俟って陰影の迷路と化している。またすぐ路地は千々に分かれた。
「ここは俺の……『ノミの貫太』様の縄張りだってえのに、なんで先回りが!?」
 叫んで、男――自称『ノミの貫太』は、分かれ道の一つに飛び込む。
 が、遠く正面に誰かが立ち塞がっているのが見えた。
「ま、また!?」
 先から幾度も彼を阻む者らと同じく、見慣れない制服に身を固めている。夕日に染まって分かり辛いその色は、どうやら青い。左腰には、とうの昔に解体された憲兵の如き長物が見えた。
 その柄に手をかけた青服は、いきなり白刃を抜き放って怒鳴る。
「てんっめぇ! どこっ逃げるつもりじゃあ!!」
「うひえっ!!」
 今にも斬りかかってきそうな剣幕に、貫太はこけつまろびつ右の脇道に逃れた。
 また背後から声がする。
穂泉ほいずみ、過度の圧迫。進路を右に修正」
「た、助け、て」
 もうなにがなんだか分からず、貫太は涙目で夕闇の筋を駆けた。
 その正面に、またしても誰かが立ちはだかっている。
 同じ青服と見えたが、裾が足首までと長い。長物も最初から抜き放たれている。というより、武蔵坊弁慶よろしく長柄の薙刀を地に立てている。なにより、子供と見紛うほどに小さい。
「ならば、潔く降参なさい!」
 凜と張った声は、年若い女性のものだった。
「ううっ!?」
 その威勢に打たれ、思わず駆け足を鈍らせつつも、貫太は今日の獲物を手放さない。しぶとく生き汚くもう一歩、脇道へと踏み込んだ。
 が、二歩目を踏み出す前に、新たな青服が道の先に現れる。
「おおっと! 辺谷へたに、只今到着ッス!」
 さらに反対側、
刀根山とねやま、標的を捕捉」
 別の道も新たな青服が塞いで、遂に袋の鼠となった。
「く、くそっ」
 四つ辻の真ん中で立ち往生する背中に、とどめの宣言が放たれる。
「二十五手で詰み、ですか」
 焼け野の路地に響く声は、規則正しい足音同様、弾んでいた。
「はて、なかなか上手く片せない。どうしても、ずれる……これだけのがあるというのに、一体なにが足りていないのでしょうね」
 振り返った貫太は、ようやく追跡者の姿を捉えた。
 暮れつつある日を背負い、端然と歩いてくる――恐らくは、青年。
 青服の頂を飾るように、制帽をやや目深に被っている。
 右半分を開けた雨覆マントの腰には、通常見える拳銃嚢ホルスターがない。
 心棒でも入っているのか、と思わせるほど長身痩躯はキッチリと伸びて、荒れた路面にも足運びは乱れず、長靴が規則正しく踏みしめる。いずれもが、一目で分かる元将校の特徴だった。
 だったのだが、貫太はそれらではない・・・・部分で、感じた。
(こいつが、アタマだ)
 向こうが歩いてくる分だけ押される錯覚すら覚える。やがてその錯覚が、立ち往生させる焦りを越えた。周りを見回してから、破れかぶれの逃走に移る。
 圧力に背を向けた先……即ち、正面の小柄な女性に向かって。
 左右の青服が、
「あっ」
「あっ」
 歩いてくる青年も、
「あっ」
 と(標的にとって)最悪の選択に思わず声を漏らしていた。
 当の貫太は、残された活力を燃やして女性に突進する。
 先は気付く余裕もなかったが、正面から夕日を受ける彼女の容貌は、強く跳ね上がった眉を加味しても、美しかった。少女ではない、妙齢の女性だった。
 その彼女は短く、
「来ませい」
 と告げつつ、弁慶の如き通せんぼから、堂に入った八相の構えに移っている。
 貫太は自分が講談の悪玉でも演じている気分になった。ついでに余計な口上まで出る。
「この『ノミの貫太』を舐めんなよ!!」
 無論、馬鹿正直に薙刀の前に首を差し出したりはしない。
 女性の手前で、跳んだ。
 常人にはあり得ない、五、六メートルはあろうかという跳躍である。いかに棒きれを振るったところで届きはしない。いつものように、頭上を飛び越えておさらば、だった。
 悔しがる美女に、背中越しの不敵な笑みでも投げてやろう。
 そんな妄想に緩む彼の面体を、
「気宇が小さい!!」
 稲妻の如き女性の一喝が打つ。
 同時に、青く輝くものが、空にある彼の顔を真っ向から叩き伏せた。剣術であれば文句なしの一本、真剣であればその身は両断、という容赦のない一撃だった。
 視界に白だの青だのを瞬かせて墜ちる中、貫太は自分を叩き伏せたものを見て取った。
 それは、薙刀から長く伸び上がった、青く輝く刃。
 女性は地に這う貫太の前に立つと、石突をドシンと落とし、しっかり目を合わせて言う。
「空を制すなら、せめて『豹』か『鷲』とでも名乗りなさい!」
 薄れ行く意識の中、貫太は自分が、
「……うん、母ちゃん」
 と小さく答えた気がした。

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