ネガティブ思考って?
先週、偶然入った本屋に坂本龍一の本があったので、特に何も考えずに買ってみた。
坂本龍一が自身のことを幼少期から振り返る内容になっていたので、久しぶりの読書にしては大変読みやすかった。
自分が何者かになる、所属するというのが想像できず、将来何になりたいか分からないでいた、というような話が序盤にある。そこから成長していく中、早い段階からピアノで作曲なども経験していく傍ら、音楽家になる、という夢なども抱くことはなく、それでもピアノとは全く違うことを始めみたところで、結局ピアノを弾く人生に戻っていくという過程が、凄くおもしろかった。
やりたいことに出会い、憧れ、ほとばしる情熱を持ち続け、モチベーションを維持させたり、あるいは始めてみたものの、実は向いていなかったとか、理想と現実に大きな壁があったとか、そういったことはあるけど、「自分にはこれしかない」という物に出会えて、しかもそれが苦じゃないことっていうのがあるのは羨ましい、とおもう。
今のところ読んでる中で、「ピアノしかなかった」なんていう奇跡のようなロマンティックなことを坂本龍一は言ってはいないし、実はもっと様々なことに意外な才能があったかもしれないけれど、ピアノを辞めてバスケを始めたときの違和感とか、外仕事を始めてみたもののすぐに向いてないと言われ、ピアノを弾く仕事をしていたという出来事には、なにかしら引力のようなものを感じた。
自分で希望していないけれど、なぜか決められた道へと軌道修正されていくかんじ。
そして、ピアノ以外に色んなことへ興味を持ったり、時には異性にモテたいとか、俗っぽいことだったり、そういう様々な理由で経験していった何かも表現者にとって大事なものになっていくのだとしたら。
それも含めて作曲家になるために必要な道だったのだとしたら、最初から作曲家としての道しか歩んできていないような気さえする。
遠回りしたり、横道に逸れていたり、スタートに戻っているつもりが、結構いい感じの道に出てきたな〜みたいなことは、無いでもない。横道に逸れてる時、不安になったり、自分を見失ったり、後悔するときは意外と他力本願だったり、自分で横道に逸れる決断をしていない時だったりする。個人的な経験上。
私の場合は、他人に流されたり、或いは退屈しのぎだったりとか。
そういう風に考えると、したいと思えるものに突き進むのも、例え自分に適したことじゃなくても、少なくとも後悔はないんじゃないだろうか。
でも、最終的にそれを継続するか、しないかという点で考えると、「やりたい」より「これしかない」っていう状況は一瞬聞こえは悪くても、やっぱり強みになるかなとは思う。状況によっては、諦めや妥協になるときもあるけど、そうじゃないのなら、なんだか帰る家があるようで羨ましい。
クリエイターや、好きなアーティストのインタビュー記事などを読んでいると、割と同じようなことを言っているのを見る。
最近見たものだと、サカナクションの山口一郎も、結婚式場のカメラマンなんかをしたことがあるけれど、そこで働いている人と自分は何もかもが違う、と感じて辞めクリエイターとして食べていくと決めたというようなことを言っていたと思う。
自分の居場所はここだ、というところはまだ分からないいけれど、ここじゃないというのは割と何度か経験がある。視界がグロテスクになるというか、会話の内容とか、空気感とか。慣れてないとかそういうのではなくて、とにかくグロテスクな環境に身をおいてる感覚。水と油のように、絶対に混ざり合わないと肌から感じる場所はある。
坂本龍一が、学生時代をデモや学生運動に費やしていた、という内容も何ページかあった。
何かに所属する自分が考えられなかった、という心情に少し繋がりがあるような行動にも思える。
デモという行動に関しては、外国で起きたデモに関する本も少し読んだけど、若者の場合は、心にしろ身体にしろ居場所が定まっていないような人が多い印象があった。
大人の場合は違うことも多いし、もっと複雑だったりするとは思う。だからといって学生や若い人々が皆これといって何も考えずにデモに参列しているとは思わない。
これに関しては、坂本龍一の当時の気持ちなどを読んだ上での感想なので、実際の学生運動やデモを決起している人たちのことは含まない。
漠然と、なにかになりたいという思いがある私は多分自分をまだ可能性の塊だと信じており、過大評価している(自称ネガティブ思考の割には)。
だって、自分にはこれしかないと思う、なんて結構それ自体がネガティブ思考のようではないの?
でも、その現実逃避しない考え方が、自分を何者かたらしめる大きなヒントなのかもしれない。
そんなことを思うと、自分のやるべきことが分かり、成功してるような人は、実はポジティブでもないんじゃないかなって思ったりもした。
私のような宙ぶらりんは、実は自己肯定感が低いのではなく、異常なほどの楽観主義者なのかもしれない、と思うのだった。