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できるだけ好かれたい、できるだけ嫌われたくない ー合理的ないい人戦略が合理的に組織を腐敗させるー
寓話『森の声を聞く者たち』
#フジテレビのガバナンス問題 #行政の形式主義 #ブラック労働問題などから寓話化
森は今、深い危機の中にありました。かつて森を守っていた光と影の巨木は、互いの調和によって森全体の生命を育んでいました。しかし、ラッピはその巨木たちが対立し、森にひび割れを生じさせている現実を目撃しました(2話目『双子の巨木と森の精霊たち』)。
「なぜ調和を守るべき存在が争うのだろう?」
ラッピはその問いに答えを見いだせず、深い無力感に苛まれました。しかし、森を救いたいという思いがラッピを奮い立たせました。「森の調和を取り戻すためには、古代の知恵が必要だ」――そう確信し、仲間たちと共に「記憶の窓」と呼ばれる洞窟を訪れたのです。
冷静で知識豊富なフクロウのキリカ、楽観的で衝動的なリスのトリル、慎重で保護者的なクマのガイ――それぞれが違う考えを持ちながらも、森を救いたいという思いは同じでした。
洞窟に足を踏み入れると、光と影が交差して動く模様が壁一面に浮かび上がり、森の歴史を語り始めました。そして、洞窟の中心にそびえる「調和の輪」が現れました。それは森の調和を象徴するものでしたが、今はひび割れ、輝きを失っていました。
輪から低い声が語りかけます。
「この輪は、森の調和を象徴するものだ。しかし、守護者たちが争い、調和を見失ったことで、輪は壊れかけている。このままでは森そのものが崩壊する」
ラッピは声を震わせて問いかけました。
「どうすればこの輪を修復できるの?」
「ラッピ、自分に問いかけてみるがよい。お前は、何を守ってきた?本当にそれが森を救うことだったのか?」
その言葉にハッとしたラッピは、これまで自分が「形式を守る」ことにとらわれ、本当に守るべきものを見失っていたのではないかと考え始めました。
輪の声を聞き終えると、仲間たちはそれぞれの考えを語り始めました。
キリカは静かに考え込みながら言います。
「この輪が象徴しているのは、個々の自由と全体の安定の調和。でも、そのバランスをどう保てばいいのかしら?」
トリルは楽観的に言いました。
「バランスなんて考えるだけ無駄さ!森を元気にする方法を思いついたら、すぐにやればいいんだ!」
慎重なガイが静かに反論します。
「そんな簡単な話じゃない。森の調和を取り戻すには、過去の知恵を理解して、今の状況にどう応用するかを考えないと」
ラッピは輪のひび割れを見つめながら複雑な表情でつぶやきました。
「僕たちは、何を守るべきなんだろう。形なのか、それとも森そのものの命なのか?」
洞窟の声が再び響きました。
「かつて古代の守護者たちは、光と影を一つに結ぶ方法を見つけた。それは、個々の力を尊重しながら、全体としての調和を築くことだった」
壁には守護者たちが対立しながらも、最終的に光と影を統一した記録が浮かび上がっていました。しかし、その方法はぼんやりとして完全には明らかになりません。
キリカが静かに言いました。
「その答えを見つけるのは、私たち自身の役目なのね」
洞窟を出ると、調和の輪はわずかに光を取り戻していました。しかし、そのひび割れはまだ残ったままです。
ラッピは決意を込めて言いました。
「これで終わりじゃない。森の調和を取り戻すために、もっと深く考えて動かなきゃいけないんだ」
トリルは言いました。「ねぇ、ラッピ。森を救うには、まず自分自身が変わらないといけないのかもね」
ガイが苦笑いを浮かべながら答えました。
「お前がそれを言うのか……衝動的なのはお前だろう」
キリカは調和の輪を見つめてつぶやきました。
「古代の守護者たちがどうやって光と影を統一したのか。もっと手がかりを探す必要があるわ」
こうしてラッピたちは、新たな知恵を求め、次の旅路へと歩み始めました。しかし、彼らがまだ知らない森の試練が、遠くで静かに彼らを待ち受けていました。
ミナサン、この話の本当の問題は何だと思いますか?
独断と偏見による解説
ここからは、この物語の本当の問題を独断と偏見により解説していきます!
本当の問題は何か
この寓話が指摘するのは、「形骸化した形式主義」によって本質を見失っている現実社会の縮図です。「調和の輪」が象徴するのは、個々の自由と全体の安定のバランス。しかし、輪を壊したのは守護者たちの争いであり、それは「形式を守ること」が目的化した結果でもあります。
こうした問題の根底には、「善良で一般的な個人」が無自覚のうちにその構造を支える側になっているという現実があります。「自分は正しい」と思い込み、形式を守ることに専念するあまり、その背後にある本質を見失ってしまう――これこそが、結果として全体の調和を損なう原因になっているのです。
寓話が反映している現実の問題を考えると、以下の事例が挙げられます。
フジテレビのガバナンス問題
「指示に従う」という善良さが、不正を温存する装置となっています。社員は「上の命令だから仕方ない」と行動を正当化し、メディアが果たすべき社会的責任を完全に失いました。行政の形式主義
「形式を守る」ことが、住民福祉を目的とする行政を形骸化させています。形式通りに動くことが「責任を果たすこと」とみなされ、本来の目的は失われました。ブラック労働問題
「頑張る善良さ」が非人道的な環境を助長しています。従業員は「ルールを守っている」という建前を優先し、自分の行動が全体に及ぼす影響を顧みません。
解決のために必要な視点
自分も加担している可能性を自覚する
「自分が被害者である」という考えだけでなく、自らが加害者側にいる可能性を冷静に見つめ直しましょう。形式ではなく核心を見極める
形式やルールを盲信せず、それが何のために存在するのか、本当に守るべきものを問い続ける姿勢を持つべきです。変化を恐れない
調和は固定された状態ではありません。変化を受け入れ、それに適応する柔軟さのダイナミクスの中に真の調和が存在します。
結論
本当に守るべきものとは何か?
私たちは「守る」と聞くと、今ある形をそのまま維持することだと考えがちです。しかし、調和とは変化しながら保たれるもの。伝統もまた、形ではなく本質を生かし続けることが大切です。
例えば、森の「調和の輪」は「個の自由と全体の安定のバランス」を象徴しますが、それは固定されたものではなく、環境に適応しながら維持されます。本当の「保守」とは、変化を拒むことではなく、本質を継承し、適応させることなのです。「昔からこうだから」と形を守るだけでは、むしろ伝統を死なせてしまいます。
では、あなたはどうでしょう?
「前例があるから続ける」
「みんながやっているから変えられない」
「余計なことを言うと嫌われる」
これらの行動こそが調和を壊す要因になり得ます。本当に守るべきものを守るためには、形ではなく本質を見ること。組織や社会を良くするためには、「嫌われたくない」ではなく、「何が大切か」を問い続けることが必要です。
「調和の輪」にひびを入れるのも、修復するのも私たち次第。あなたはどちらを選びますか?
以上、寓話〜るどでした。