海外転職のリアル:言葉と文化の壁
日本企業で働いていた頃、数々の海外プロジェクトを担当し、さまざまな国の人々と仕事をしてきた。海外転職をする前は、外資系企業の日本オフィスで働いており、日常的に欧米各国の同僚とやりとりをしていた。また、海外の本社や事業所で短期間仕事をした経験もある。だから、オーストリアの会社に海外転職しても、それなりにやっていけると思っていた。しかし、実際に来てみると、初めはなかなか思うようにいかなかったのである。
最も大きな障害となったのは、言葉の問題だ。そもそも海外で働くのだから言語が重要なのは当然である。それまで海外に住んだことのない自分でも、仕事で使う程度の英会話は問題なくこなす自信はあった。以前の会社はドイツに本社を置く大企業で、ドイツ人以外の社員も多く、社内では常に英語が共通語となっていた。会議に一人でも非ドイツ語圏の社員が参加していたら、最初から最後まですべて英語で話すことが義務付けられていた。
しかし、今度転職してきたオーストリアの会社では、仕事は基本的にドイツ語で行われていた。業界では世界的に名の知れた企業であり、同僚たちは皆英語を話すことができた。ドイツ語圏以外の社員も多かったが、彼らもドイツ語を使っていた。他国の顧客が参加する会議では当然英語が使われるが、社内会議となるとすぐに100%ドイツ語になる。これには非常に困惑した。ちなみに、会話だけでなく、社内のイントラネットやマニュアル、書類もすべてドイツ語で書かれており、英語が併記されていることはほとんどなかった程だ。ネット翻訳のない時代だったので、単語1つずつ意味を電子辞書で調べる必要があった。
社内でドイツ語講座を受講し、3か月ほどは頑張ってみたが、名詞に男性・女性・中性の区別があることを知って驚き、それに対応する冠詞の多さにうんざりした。さらに、動詞が前後に分離する分離動詞が出てきた時点でさじを投げた。簡単な旅行会話程度であれば半分くらいは理解できるようになったが、仕事で専門的な議論に使うにはとても無理だと感じた。語学に時間を割くよりも、専門技術の習得に時間をかけたい。そもそもそのためにこの会社に転職したのだから。
コミュニケーションの問題は、単にドイツ語を話せるかどうかということだけではなかった。英語で会話していても、ドイツ語を母語とする人々とでは、英語ネイティブ話者とは異なり、意思疎通が難しいことが多かった。その背景には、言語によって「コンテクスト」の違いがあるということを、後に知ることとなった。どうやらドイツ語は世界でも特に「コンテクストが低い(Low-Context)」言語であり、対照的に日本語は最も「コンテクストが高い(High-Context)」言語であるという。
この違いがどのように仕事上のコミュニケーションに影響するかというと、ドイツ語圏の人々は、言葉にされていないことを察したり、空気を読んだりすることができないという点である。つまり、何か指示を出す際には、1から10まで詳細に説明しなければ、期待通りの結果が得られないのだ。私は設計マネージャーであったため、プロジェクトに関わる設計者たちに対して期待される完成形のイメージを伝え、具体的な設計を進めてもらう必要があった。日本人相手なら10のうち3〜5程度を伝えれば十分理解してもらえるところを、8〜10まで、時には12ほども説明しなければ理解されないことがよくあった。ドイツ語がLow-Context言語であることを知らなかった当初は、どうしてこんなに簡単なことまで細かく説明しなければならないのかと不思議で仕方なかった。些細なことで衝突することもあり、理解されないことを差別されていると誤解することもあった。
余談だが、コンテクストが低いドイツ語圏の人々は、物事をはっきりと詳細に話す傾向が強い。これはドイツ語だけでなく、英語で話すときも同じである。そのため、ドイツ語圏の人々と英語で会話すると、話が長くなることが多い。街のカフェなどでも、コーヒー1杯で何時間でもしゃべる。また、彼らは他人に対してストレートに物を言い、遠回しな表現ができないことがあり、時折それが不快に感じられることもあった。
こうした言語文化の違いを理解していると、コミュニケーションがスムーズに進むことが多い。自分が話す際には、できるだけストレートに、細かい部分まで説明する必要がある。大事なことはくどいほど繰り返す。また、相手の話を聞くときは、辛抱強く長い説明にも耳を傾け、ストレートに批判的なことを言われても、感情的にならずに冷静に対応することが大切である。このことを意識しないと、オーストリア人との仕事はうまくいかないことがわかった。
同時に、日本向けプロジェクトに携わる社内のメンバーにも、顧客である日本人との言語文化の違いを理解してもらう努力をした。これにより、少しずつオーストリアの会社内でのコミュニケーションの問題が解決し、日本人顧客向けプロジェクトもうまく進むようになった。こうした対応をすることも、日本人である私がこの会社に採用された理由の一つなのかもしれないと、今になって思うのであった。
ちなみに、イントラネットをはじめとする社内文書の英語化も、私が入社してから3〜5年後に徐々に進んでいった。入社当時、全世界で3,000人弱しかいなかった社員数が、5年後には倍増したのだ。約半数がオーストリア本社勤務の社員だったが、全体の社員数が6,000人を超えて非ドイツ語話者の絶対数が大幅に増加したことが理由であろう。私が海を超えてチャレンジをしたその頃、会社もオーストリア・グラーツ市のローカル企業から、グローバル企業へと飛躍する時期だったのである。
(続く)