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1991年湾岸戦争真最中の香港旅行記
30年前の海外旅行は今のようにネット予約がなかったので、直接ツアー旅行会社のカウンターに出向くか、電話帳(これって死語?)のように分厚い貧乏トラベラーの友、旅行雑誌「ABロード」で安いツアーを探すしかなかった。1990年冬、退屈な日曜日の午後、FMラジオを聞きながらいつものようにABロードのページをめくっていると、激安の香港ツアーを発見。これなら冬のボーナスで行ける!と思い、早速電話で申し込んだ。香港往復航空券+ホテル4泊が基本のツアーパックで、現地観光は別料金となっていた。まだ中国返還前の香港である。
激安ツアーなのでハイシーズンではなく、まったく旅行する人がいない2月の出発だ。しかも運の悪いことにその年、1991年1月、アメリカがイラクに攻め込んで湾岸戦争が勃発した。日本のTVニュースでも大きく取り上げられ、イラクの夜空に光り輝くアメリカ軍の無数のミサイル攻撃が、とてもセンセーショナルに報じられていた。年末に会社に年休届けを出していたのだが、案の定出発1週間前になって部長まで出てきて、「あほか?行くな、考え直せ」と止められた。香港は直接戦争には関係していなかったが、旅行中に何かあったらどうするのだと。すでになけなしの安月給から旅行代金を支払済だったので、もちろん適当なこと言ってごまかしながら強行突破した。結局、地下鉄の駅に豚の頭といっしょに抗議の看板が上がっていたくらいで、特に大変な事件は起きなかった。結果オーライだ。
初めてのアジア、初めての香港。当時香港の空の玄関口であった啓徳空港は市街地にほど近い場所にあり、着陸する飛行機が密集したビル群の真上をかすめるように旋回飛行しながらアプローチすることで有名であった。着陸寸前には、手を伸ばすとまるでベランダに干された洗濯物に届きそうなくらいの近さである。
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空港到着後、ホテルまでツアーバスで送ってもらい、現地ツアー担当のお兄さんに以降は完全別行動すると宣言した。だいぶ抵抗されたが、最後は根負けしてしぶしぶ了解してくれた。そして、帰国日の午前中だけは付き合えと言われた。さもなくば帰りの航空券を渡せないと。今思えば、彼にとってはちっとも嬉しくない客だっただろう。現地ツアーだけが彼らの儲け所なのだから。
ツアーを離れ、早速香港の街に繰り出した。ホテルは九龍半島のど真ん中、尖沙咀の近くに位置しており、どこへ行くにもとても便利な場所だった。尖沙咀のメインストリートでいきなり驚かされたのは、百科事典(これも死語?)を横にしたくらいの大きなケースを肩から下げて歩く若者たちだ。ちらほら同じケースを持ち歩く人を見かける。いったいあれは何だろうと不思議に思っていると、その中の一人が突然そのケースから受話器を取り出して歩きながら電話し始めたのだ。生まれて初めて見た黎明期の携帯電話だったのだが、とても便利そうには見えなかった。今調べてみると、日本でもNTTがショルダーホンという名で売り出していたらしいが、地方都市ではまだ使っている人を見かけることはなかった。いわゆるガラケーなるものが一般に普及しだす5年ほど前のことだ。
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香港、特に九龍半島はとてもエキサイティングな街で、朝から晩まで1日中歩き回り、食べまわった。地元の人と思われる香港人たちが群がっている店は、どこもとても美味しかった。忙しいビジネスパーソンたちで満員の朝のお粥屋、知らない現地の人たちとテーブルを囲む飲茶、昭和を思い出させるしぶい内装の中華料理屋も、どこで何を食べても最高に美味しかった。特に晩ごはんを食べに入った食堂で食べた「アワビ入り焼きそば」が最高の美味しさで、うまいうまい!と大喜びしていたら店のおじさんに「うまいだろ?当たり前だ!うちで使っている日本のアワビは最高さ!」と言われてビックリした。三陸産のアワビは香港で大評判なのだそうだ。ちなみに高くて食べられなかったけど、フカヒレも同じく。それでもなぜか日本よりは安かったのだから、食べておけばよかった・・・。ちなみに、本当は男人街の公園近くに出ている屋台で見かけたタニシ料理なども食べたかったが、妻に全力で拒否されたのであきらめた。
香港滞在中で唯一美味しくなかったのは、帰国日の昼にツアーで無理やり連れて行かれた飲茶だ。大きな会場(周りには誰もいない)に置かれたテーブルに座らされ、ワゴンではなく普通にテーブルに置かれた冷えた飲茶料理。やっぱりツアーはキャンセルして大正解だった。
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4泊の旅を満喫して無事帰国し、安宿で有名な重慶大厦(チョンキンマンション)の1階で買った偽物の腕時計「コルム(CORUM)アドミラルズカップ」を腕に輝かせて意気揚々と出社した。早速、出発を思いとどまらせようとした部長に無事帰国の報告に行き、「どうです、いいでしょう?」と腕に巻いたコルムを見せびらかした。部長の腕には本物のコルムが輝いていたのを知っていたのである。
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