現代のわらしべ長者|はじめてのファーストクラス
頻繁に海外出張を繰り返していた時期があった。年に10回以上海外に行く年もあったほどだ。そんな時期、海外から帰国して1週間ほどした時になんだかおなかが痛くなった。それも通常の胃腸の痛みとかではなく、もっと下の方、膀胱の近くに鈍い痛みを感じた。しかも日に日に痛みがはっきりしてきて、ジャンプしたりすると響くようになった。これは膀胱炎かもと、近所の胃腸内科を訪れた。
その街に引っ越したばかりで初めて行く医院だったが、なんだか昭和チックでレトロな雰囲気で、同世代っぽい女医さんに症状を伝えて診てもらった。部分的にレントゲンも取ってもらったが、どうやら膀胱炎ではなさそうという。でも痛みの理由がわからず、結局紹介状を書いてもらって大きめの病院で診てもらうことに。大病院はとても混雑していて、予約のないワタシは2時間近く待たされてお昼直前にようやく順番が回ってきた。医師に理由を話すとベッドに横になって触診。直後に言われた。「あ〜、これは盲腸ですね」。
金曜日のお昼だったが、午後に念の為CT検査をして、夜には生まれて初めての手術をしようとドタバタ話が進んだ。まずいことに、週明け月曜からまた海外出張の予定が入っていた。病院から会社に電話して理由を説明したが、小さな会社なので代わりに行ってくれる人もおらず、結局出発を3日間遅らせて木曜出発に変更してもらった。手術は問題なく終了し、手術日の金曜と次の土曜の2泊入院して日曜日の昼に退院した。傷口はガーゼで覆っているが、まだ痛みは残っている。3日間自宅で療養し、木曜日の早朝右下腹部を押さえながら海外出張に出発したのだった。これぞジャパニーズ社畜リーマンの鏡だ。
その時は、名古屋のセントレア空港からルフトハンザ航空を使ってのドイツ出張である。2008年冬、秋にあったリーマンショック直後だった。空港に行くと、カートいっぱいに家財道具一式を乗せた大勢のブラジル人家族たちが、チェックインカウンター前を埋め尽くしていた。名古屋近郊には自動車会社やその部品会社が多く、そこに働いていたブラジル人労働者とその家族たちが一斉に帰国するのだろう。でもなぜルフトハンザ?と一瞬思ったが、米国経由も欧州経由も、どうせブラジルは日本から見ると地球の真裏に位置するので同じことなのであろう。えらいこっちゃ、これはチェックインに相当時間が掛かりそうだ。
ところが、マイレージ会員だったおかげで優先的にカウンターに案内してもらい、チェックイン手続きを始めることができた。先週、手術の影響で出発日を変更したのだが、どうやらあの大勢のブラジル人たちとダブルブッキングしてしまっているようだ、とカウンターのお姉さんに言われた。そして、「大変申し訳ございませんが、空いている席がビジネスしかございません。変更させていただいてよろしいでしょうか?」と言うではないか。「う〜む。仕方がないですね・・・」などと、クラッカーをパンパン鳴らしてバンザイしている心の中をひた隠しにして答えた。
なんというラッキー!やっぱり神様はどこかで見てくれているのだ。退院3日後に、まだ抜糸していない傷口をさすりながら海外出張をする悲しい子羊のことを。これで飛行中の痛みは多少和らぐことだろう。外資系に転職してからというものいつもエコノミーで出張していたので(外資は厳しいのだ)、久しぶりのビジネスクラスに心躍らせながら搭乗した。
ビジネスクラスも満席だった。無事離陸して水平飛行に移り、サービスのシャンパンを飲みながら映画でも楽しむことにした。ビジネスのスクリーンは大きいのでとても楽しみにしていた。ところが、どこをどう触ってもタッチスクリーンが反応してくれない。CAを呼んで何度かリブートしてもらったが直らない。えぇ〜、楽しみにしていた映画もなしに、ドイツまで11時間以上どうすりゃいいの?急に傷口がズキズキしだした。するとチーフCAがやってきて、「ただいまビジネスクラスが満席で移っていただく席をご用意できません。たいへん申し訳ございませんが、ファーストクラスに移動いただけないでしょうか?食事はビジネスのままになるのですが・・・」と言うではないか。再び、「う〜む。仕方がないですね・・・」と、涙を流して大喜びで踊り出したい気持ちをひた隠しにして答えた。
これは何かの間違いか?それともワタシは、現代のわらしべ長者だったのか?
名古屋発便ということで比較的小さな飛行機だったので、ファーストクラスも同じフロアの先頭付近にあった。薄暗いファーストクラスに通されると、暗がりにバラの一輪挿しがスポットライトのなかで浮かんでいた。その前の壁の向こうは操縦席だ。客はほとんどおらず、通路を挟んだ向こう側に一人客がいるだけ。ワタシとその人(本物のファーストクラス客)の二人だけで独占状態である。食事はビジネスのものであったが、ドリンクとアメニティはファーストクラスのサービスを受けることができた。傷口のことも忘れて、見たこともないワインをガンガン飲んだ。もちろんシートはフルフラットである。今ではビジネスでもフラットになるが、当時はそうではなかった。これは傷口にはたいへん好都合であった。
その後も毎月のように海外出張をしていたので、ビジネスクラスへアップグレードされることはたまにあったし、マイレージを使って自分でアップグレードすることもあった。けれども、ファーストクラスに乗ったのは後にも先にもあの手術後の1回だけである。長く生きていると、たまには良いこともあるもんだ。社畜リーマンがわらしべ長者になった日の思い出である。
セミリタイアした今となっては、もう海外出張などすることはない。3匹の猫たちと暮らしているので、国内外とも飛行機で旅行するようなことも当分ないであろう。手術後に出張するほど忙しく働いていたあの頃と比べると、猫とゴロゴロしながらのんびり暮らしている今のセミリタイア生活の方が、ワタシにとってはよっぽど「ファーストクラス」の気分である。