35年前 はじめての海外旅行【成田空港編】 昔は大変だったのよ・・・
今から35年前、まだ学生だった頃、バックパックひとつ担いで初めて行った海外旅行のことを書いてみたいと思う。あれからたくさんの国や都市に行ったが、これがすべての始まりだった。
あれは大学4年生(実は5年目・・・)の冬、超貧乏学生だったワタシにとって、それまで海外旅行なんて高嶺の花だと思っていた。でも、就職したら海外なんてなかなか行けないかも・・・、最後のチャンスかもしれないのでなんとか学生のうちに行ってみたい!と、急に調査を始めたのがきっかけだった。すると、意外や意外、バイトで貯めたお金でもなんとか行けそうということが分かってきた。それまで1ドル250円程度だったドル・円レートが1985年のプラザ合意の後急激に円高になり、ちょうどその年(1988年)にはなんと120円台まで円高になったことが要因のひとつだった。今の急激な円安の真逆だ。そんなこんなで卒業前の1989年3月、人生初の海外旅行、アメリカ貧乏一人旅に出発することが決まったのだ。
成田からサンフランシスコ、ロサンゼルス(+サンディエゴ)、ニューヨークを3週間ちょっとで回る日程を組んだ。手配したのは格安周遊航空券と到着日のホテルだけ。後は貧乏旅行者のバイブル「地球の歩き方」を頼りに現地で直接交渉してなんとかするという、初めてのくせに大変無謀な計画だ。たしか航空券+サンフランシスコのホテル1泊の旅行代金は、10万円程度だったと記憶している。数年前に比べて劇的に安くなったとはいえ、貧乏バイト学生には贅沢な旅費だったが、就職したらすぐに給料がもらえるから大丈夫〜♪と楽観的に考えていた(実は、GW明けまで初任給がもらえず、飢え死にしかけた・・・)。
当時の格安航空券は聞いたこともないような小さな旅行代理店が扱っていて、ワタシにとっては目ん玉が飛び出るほどの超高額な旅行代金を振り込んだにもかかわらず、ペラペラの子ども銀行券のような紙バウチャーが郵送されてくるのみであった。当日それを持って成田空港のツアーカウンターに決められた時間に行けば、正式なチケットに交換してくれるという。ほんとかよ。海外旅行初心者にとっては、ものすごく不安になる怪しいシステムだ。まったく信用できなかったが、お金がないのでそのシステムを利用する他なかった。
出発当日、これから始まる大冒険に胸膨らませ(嘘、ドキドキしっぱなしだった)、まだ過激派による成田闘争の緊張感が残る検問ゲートをくぐった。当時の成田空港は電車が空港内まで乗り入れできておらず、少し離れた京成電鉄成田空港駅(現東成田駅)の検問ゲートでチェックを受け、専用シャトルバスに乗って空港ビルに移動する必要があった。空港敷地の入口にもゲートがあり、途中バスがそこを通過する際一旦停車して空港警察によるパスポートチェックがあったり、なんだか物騒な雰囲気だったのを覚えている。外には空港建設反対の立て看板がたくさん立っていた。後に成田空港駅ができて空港内に直接電車が到着するようになったが、しばらくは改札の後にパスポートチェックのゲートがあったのはこの名残なのだろう。羽田には最初からないしね。
ようやく到着した成田空港だが、旅行社が指定したカウンターというのが広い出発ロビーの一番端っこの閑散とした場所にあり、無数にある同類の弱小旅行代理店が時間差でシェアして使っていた。海外旅行ビギナーであるワタシは時間に遅れてはならぬと、集合時間の1時間以上前に到着したのだが、当然そこにはまだワタシが予約した旅行社の看板は出ておらず、本当にここが正しいチケット受け渡し場所なのか?めちゃくちゃ不安になった。時間を潰すために、空港内のレストランで食事をしようとしたが、どこも超高くて貧乏学生にはなかなか入れない。あれこれ迷った挙げ句、一番リーズナブルな感じのレストランでカツカレーを頼んだ。確か、1500円くらいだったと記憶している。今ならそれほど不思議ではないが、なんせ35年前、めちゃくちゃ高いと思った。学食ランチが300円だった時代だから、もちろんそれまでの人生で一番高いランチになった。まだ旅行前なのに、すでに散財だ・・・。
やっと集合時間になり、幅約50cm程度の極狭カウンターにようやく予約した旅行社の名を書いた手書きホワイトボードが上がり、長時間握りしめてシワクチャになったバウチャーを無事チケットに交換してもらうことができた。当時の航空券は赤いペラペラのカーボン紙が数枚束になっているスタイルで、こんなんで本当に海外に行けるのか?と、また心配になってしまうシロモノだった。カーボン紙による赤い印字が読みにくいし、すぐにちぎれてしまいそうなペラペラチケットが全工程4便分1冊になっていた。このチケットを3週間の長旅の間、なくさないように(盗られないように)厳重かつ慎重に保管する必要がある。今のネット予約&eチケットの便利さからは想像できないくらい、当時はまだ海外旅行に高いハードルがあった。
そして無事チェックインを済ませ、いよいよ初めての飛行機に搭乗した。飛行機に乗って初めて空に浮かんだ瞬間のことは、今でも鮮明に覚えている。目をつむり「落ちるな〜!」と念じていた・・・。
目的地はサンフランシスコだが、途中シアトルで乗り継ぎだった。ドキドキの入国審査では、何を聞かれても「サイトシーイング!」の一点張りで審査官を呆れさせ(そう言えばいいと本で読んだ)、なんとか無事入国。そこから国内線ゲートへの移動の仕方が分からずキョロキョロしていると、そんなアホのためにスタンバっていた現地在住日本人のおばちゃん係員が、ターミナル間を走る電車の乗り方を教えてくれた。まさか空港内に専用電車(モノレール)が走っているとは夢にも思わなかったので、教えてくれたおばちゃんには本当に感謝した。
そんなこんなで現地時間の夕方、ようやく最初の目的地、サンフランシスコに到着したのだ。
【続きはサンフランシスコ編で!】